金魚すくう「ポイ」後発席巻

新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって、今年は全国各地で祭りが中止となった。そんな祭りの風物詩といえば「金魚すくい」だが、すくうときに使うあの道具の名前をご存じだろうか。昔からその存在は知っているが、意外にもフォーカスされる機会の少ない“名品”を紹介するシリーズ、第2回は堀田プラスチック工業の「ポイ」だ。(フリーライター 岡田光雄)

● ポイは強度が命 全国大会でも使用

 水中を余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と泳ぎ回る金魚たちを捕まえようとするも、すんでのところで和紙が破れて逃げられてしまい、歯をきしませた思い出はないだろうか。あの名勝負を演出してくれるのは、円形の枠に硬すぎず柔らかすぎない絶妙な強度の和紙を貼った道具、ポイに他ならない。

 そのポイを年間500万本生産し、全国シェア6割を占めるのは堀田プラスチック工業(奈良県北葛城郡広陵町)。1963年に創業し、現在は2代目社長の杉本勝久氏、妻、パート従業員のわずか3人で切り盛りしている。

 「ポイだけの話でいえば年商は3000万~4000万円。近年は廃業する事業者さんも多いですが、その穴埋め分をうちが受注しているため、ここ2~3年が最も繁忙期でした。今年はコロナの影響で祭りの中止などが相次ぎ、商品をさばけず在庫を抱えている状況ですが、ポイは賞味期限がないのでロスになる心配もありません。また、うちのようにポイの生産・加工を一手に引き受けている会社は珍しいため、枠の色を変えたり和紙に印刷して販促物にしたりなど、クライアントのニーズに柔軟に応えることができるのも武器です」

 ポイに人生をかける職人のビジネスを見ていこう。

● 後発参入ながら 市場を席巻できた理由

 もっとも、同社がここまでくる道のりは決して平坦ではなかったという。

 「ポイの仕事は先代の頃から始めるようになりましたが、最初は全くもうけにならずクレームもしょっちゅうでした。前述したようにポイは紙の強度がネックですが、当時は何もわからなかったため普通の紙を使っており、『こんな紙じゃ全然使い物にならない』と言われたことも。何度も失敗を重ねて、3年目くらいでようやく安定的に供給できるようになりました。その後、ポイを納品していた大和郡山市の金魚店さんから、別の卸売業者さんを紹介してもらい東京に進出。そこから関東、全国へとうちの商品が広まっていきました」

 同社はいわば後発メーカーだった。当時のポイ市場はすでに海外の安価な商品や、国内メーカーの商品がシェアを占めていたが、いかにして全国に普及させていったのか。

 「まず東京のお店でうちの商品を扱ってもらうためには、既存のポイよりも価格・品質・納期の全てで上回る必要がありました。特に、海外メーカーとは違い、国内生産であるうちのポイは絶対に在庫を切らすわけにはいかないということで、とにかく毎日大忙しで作りました。本当につらくて途中で手を引こうと諦めかけたこともありましたが、先代たちと一緒に情熱を注ぎました。その結果、着々とうちの商品の品質や在庫の豊富さが口コミで広まっていき、東京に進出して3~4年後に全国に普及。近年は海外の人も祭りの露店で金魚すくいをしたり、全国金魚すくい選手権大会に出場したりしてうちのポイを使ってくれているため、とても名誉に感じています」

 金魚すくいの文化は江戸時代から始まったとされている。それほどに古い歴史を持つ既存のマーケットの勢力図を、後発メーカーが塗り替えていったのだ。

最終更新日:1/21(木)20:46 ダイヤモンド・オンライン

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6382898

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