5月14日は「母の日」です。今では当たり前に受け入れられている行事ですが、実は初めはなかなか一般には浸透しなかったといいます。それが、あるイベントをきっかけに、日本全国に広まっていきました。今から86年前に菓子メーカーが企画した「母の日大会」。日本に「母の日」を浸透させた原点に迫ると、カーネーションとは違った母への感謝の形が見えてきました。
■「母を讃へ、母に感謝し、母を護り、母を憶ふ」母の日大会に込められた思い
「母の日」の起源については諸説ありますが、1912年頃にアメリカで始まり、世界各国に広がっていったとされていています。日本でも、全国各地のキリスト教徒や婦人団体などが「母の日」を行うようになりましたが、一般的には広まらなかったといいます。ところが、1937年に行われた「母の日大会」という豊島園への無料招待イベントをきっかけに「母の日」は日本中に広まり始めたといいます。
当時の広告が残っています。そこには、母の日が5月の第2日曜日は「母の日」であることに加え、お母さんを礼賛する言葉が並びます。
「お母さまのおこころほど美しくありがたいものはありません」
「母を讃へ、母に感謝し、母を護り、母を憶ふ」
「世界中の心ある人たちは、この日になりますとなにかしら、お母さま方をおよろこばせすることをいたします」
ともすると、かなり押しの強い文言で母の日の意義をアピールしています。このイベントを主催したのは「森永製菓」でした。
いったいこの母の日大会では、「心ある人たち」がいったいどんな「お母さま方をおよろこばせする」ことをしたのでしょうか。森永製菓の広報・田村和世さんに聞きました。
ーー日本の「母の日」が広まったきっかけに「森永製菓」が関係しているんですね。
はい、森永製菓が広めたと言われています。1937年に諸団体と協力して「母の日大会」を開催し、新聞などで報道されることで広くみなさんに知っていただいたと認識しています。
最終更新日:5/14(日)10:14 TBS NEWS DIG Powered by JNN