駄菓子ヨーグル 本家の職人技

かつての子どもたちの憩いの場だった駄菓子店、そこで一際輝きを放っていた商品がある。ヨーグルト瓶を模した小さなプラスチック製の容器に入り、パッケージにはゾウのイラストが描かれ、甘味と酸味のきいたクリーム状の駄菓子といえば、もうおわかりだろう。昔からその存在は知っているが、意外にもフォーカスされる機会の少ない“名品”を紹介するシリーズ、第1回はサンヨー製菓の「モロッコフルーツヨーグル」だ。(フリーライター 岡田光雄)

● 類似商品は淘汰され レシピは門外不出

 中高年の読者が子どもの頃、100円玉や50円玉を握りしめて足繁く通った場所といえば、駄菓子店ではないだろうか。予算の硬貨1枚の中で、雑多に並べられた駄菓子の中から最大限の満足度を得るため真剣に商品を選ぶ。

 そんな群雄割拠の駄菓子市場の中で、最も人気だった商品の一つといえばモロッコフルーツヨーグルだ。現在の単価は20円で、当たりが出ればもう1つもらうことができる。口どけのよい食感に、さながらヨーグルトのような甘酸っぱい美味が特長だ。

 1961年に発売されるやたちまちヒットし、その後の最盛期には十数社から類似商品が発売されたが、そのほとんどが淘汰されて今や本家も含めて数社ほどしか残っていない。

 サンヨー製菓3代目社長の池田光隆氏は、その味の秘密をこう明かす。

「モロッコフルーツヨーグルは、小さな容器に入ったクリームを、付属の木製スプーンですくって食べるお菓子ですが、見た目の通り、あれはヨーグルト瓶を模しています。商品開発当時は、町の牛乳店さんが各家庭にヨーグルトを届けてくれる光景もよく見られたため、それのパロディーをやったら子どもたちに楽しんでもらえると思い、今の形になりました。おいしくて特別感のあるお菓子なら、お客さんたちの間で必ず話題になる。祖父の代から“口コミに勝る宣伝はない”と教えられてきました」

 満を持して開発した渾身の商品だったが、一方で流通面での壁もあった。製菓メーカーは、問屋を介して駄菓子店など店舗に商品を置いてもらう流通の方法が主流だったため、まずは問屋を納得させる必要があったのだ。

 「祖父は完成したばかりの商品のサンプルを大事に抱え、大阪の問屋街に持っていきました。『今度こんなお菓子を作ったので、御社でも扱ってください』とお願いすると、ほとんどの問屋さんでは『こんなものが売れるはずない』と断られたそうです。その理由としては、やはりスプーンを使って食べるということで手間がかかるし、中身が何なのかもパッケージではイマイチわかりづらいから。確かに、あまり前例のなかったお菓子ですし、仕方のないことかもしれませんが…。しかし、そのとき一軒の問屋さんが、『売れるかどうかはわからないけど、ひとまず東京に送ってみるよ』と言っていただき、それが転機に。まずは東京で発売されてヒットし、その後に大阪をはじめ全国で流通されるようになりました」

● 駄菓子店の減少とコロナで 売り上げは8割減に

 しかし、近年の駄菓子市場には逆風が吹き荒れている。経済産業省の商業統計によれば、1972年から2016年にかけて、駄菓子店(製造業を除く菓子小売業)の数は13万6712軒から1万5746軒に、そこで働く従業者の数も22万8123人から7万6582人へと激減している。

「後継者がいなかったり、商売の採算がとれなかったりして、年を追うごとに町から駄菓子店さんが消えていっています。特に最近はコロナによる自粛警察などの影響もあってか、店を閉めているところも多い。中小零細の同業他社メーカーも続々と廃業していますが、それも仕方のないことでしょう。うちみたいな小さな町工場ですと、たとえば原材料メーカーから砂糖を仕入れようとしても、小ロット(少ない注文数)だと割高になってしまったり、仕入れるルートそのものがなくなってきたりしているため厳しい状況です。かといって、メーカーの意地として絶対に品質は落とせませんし、万が一異物混入などがあればクレームになってしまう。信用は一度失ってしまうとなかなか取り戻せませんからね」

 モロッコフルーツヨーグルは、最盛期には年間で2500万個も売れていたが、近年は1000万個と半数以下となり、さらにコロナ禍の今はその半分にまで落ち込んでいるという。

 「かつて子どもたちにとって駄菓子店さんは、よりどりみどりのお菓子であふれた遊園地であり、人間関係など社会を学ぶ場であり、お小遣いの中で買えるお菓子を計算する算数の学び舎でもありました。そんな場所でモロッコフルーツヨーグルを置いてもらえることは本当に名誉でした。普段は工場にこもりっきりでお客さんの声を聞く機会は少ないですが、たまに近所の駄菓子店さんに行ったときに、『おばちゃ~ん、ヨーグルある~?』という子どもの声を聞くとうれしいものです。コロナが落ち着いたら、また駄菓子店さんに子どもが集まる光景を見たいと切に願っています。それまでうちも、大阪の小さな町工場でモロッコフルーツヨーグルを毎日一生懸命作っていきたいと思っています」

 コロナ渦の中、単価わずか20円の商品に技術と情熱を込める池田社長。この姿勢こそが、モロッコフルーツヨーグルが3代にわたり愛され続ける理由なのかもしれない。

最終更新日:1/14(木)20:31 ダイヤモンド・オンライン

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6382249

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