昭和にヒット珠のれん 何のため?

「このジャラジャラ、なんのためにつけてたの?」

こんなつぶやきとともに、レトロ感あふれる写真がTwitterに投稿され、ちょっとした反響を呼んでいる。

――「珠のれん」の最盛期は?

大阪万博(1970年)があったぐらいの時期です。「珠のれん」を作る機械が開発されたのが昭和35年ぐらいで、その時はメーカーが15軒ぐらいあったと思います。最盛時は50軒ぐらいになりました。


――現在、ヒョウトク以外のメーカーはどうなった?

残っているのは6社ほどです。6社はすべて出発は算盤屋で、今、算盤だけを作っているところは1社。「珠のれん」をやってるところは私のところだけ。他は木工品を扱ってます。


――「珠のれん」はどうしてヒットした?

昭和30~40年代ぐらいまでは瓦葺きの家とか藁葺の家が主流の時代ですから、そういう和風建築には「珠のれん」が最適だったんです。床の間があって、仏壇があって、夏場はふすまを開けて「珠のれん」をかける。「布ののれん」だと先が見えなくなってしまいますけど、「珠のれん」は隙間が空いてて空気も行き交います。

それが昭和45年後半から50年かけてぐらいに、田舎でも藁葺やら瓦屋根が老朽化して、建て替えで洋風建築に変わっていったんです。今では私の家でも掛け軸なんか掛けてないし、だいぶ様子が変わってきましたね。

最終更新日:3/25(土)17:09 FNNプライムオンライン

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6458121

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