日本のパン ブレッドと言わない訳

フランス料理のレシピを掲載した日本最古の料理本、1898(明治31)年出版の『和清西洋料理法自在』において、著者の半渓散人は次のように述べます。



 “現今我國(わがくに)にて行なはるるものは多くは英吉利西(いぎりす)の料理法なれば(中略)料理の品目を呼ぶもフライ。ビフテーキ。スープの類の如き皆英語を用ゆるなり”
 日本の洋食はイギリスの影響をうけているため、料理名にはフライ(fry)、ビフテキ(beef steak)、スープ(soup)などの英語が使用されています。

■横浜や東京でフランスパンが普及した理由

 幕末の横浜や東京においてフランスパンが普及した理由は、幕府とフランスとの密接な関係にありました。

 “日本近代化の作業はまずフランス文化の輸入からはじまったのであるが、これは経済や軍事、思想面だけでなく、食物文化の面も同じであった。この点は横浜のパンの主流となったのが、ぢかやきの鰹節(かつおぶし)型 フランスパンであったことからも立証することができる。” 
“横須賀及び横浜製鉄所や横浜仏語学校などの仏人技師や教官、それからフランスの軍事教官団などがフランスパンの技術をもちこんだ”(パンの明治百年史刊行会編『パンの明治百年史』)

前出の尾髙煌之助『明治のお雇い外国人たちと産業発展の構図』によると、1874(明治6)年にはお雇い外国人のうち、50%をイギリス人が占めるようになります。

 当時のイギリス人家庭には、家庭内に専任のコックを雇い料理を作らせるという習慣がありました。日本在住のイギリス人家庭も、日本人をコックとして雇い、イギリス料理を教えたのです。

 現存する中では日本最古の西洋料理本、仮名垣魯文の『西洋料理通』は、横浜のイギリス人が日本人コックのために作ったイギリス料理マニュアルを編集出版したものです。

最終更新日:1/25(水)16:58 東洋経済オンライン

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6451696

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