福神漬 なぜ「カレーのお供」に

1929(昭和4)年にオープンした大阪梅田の阪急百貨店では、洋食のライスすべてに福神漬がつけられていました。なのでカレーライス「にも」福神漬がついていたのです。(詳しくは前編を参照:カレーに「福神漬」を入れる人が知らない“真実”)



 阪急百貨店開店の1年前、1928(昭和3)年6月20日の時事新報記事「食堂巡り」に、日本橋三越百貨店本店食堂が取り上げられました。そこで注文した若鶏のランチのライスにも、福神漬がついていました。

大正時代の急激な人口増による食事難民に対応するために、東京市は公営の公衆食堂を各地に開設、安い値段で東京市民に食事を提供します。その際に、1回の食事に必ず1.5合の米を提供することが規則として定められました。

 1.5合の米をご飯にすると、牛丼チェーンの丼飯2杯。茶碗にすると3~4杯分。これが東京市が定める平均的な1食のご飯の量。当時の陸軍は1食2合でしたが、肉体労働を伴わない成人男性でも、1.5合=ご飯3~4杯を毎食食べるのが標準的な都会の食生活だったのです。

ところが、あらかじめ工場の機械で細かく切られている便利な漬物がありました。福神漬です。フォークやスプーンで食べやすく、厨房の負担にならない。福神漬は大量の洋食を出す外食産業に最適な漬物だったのです。

 1年間に何百万食分もの漬物を必要とする巨大外食産業にとって、安定した価格で安定した量の供給を確保することは死活問題です。

 原料の大根が不作だと、たくあんの供給は滞り、価格は上昇します。一方、福神漬は7種類の野菜に「リスク分散」しています。ある野菜が不足になり値上がれば、安い野菜でその不足を補えばよいのです。安定価格・安定供給の面においても、福神漬には利点があったのです。

この写真は、食欲増進剤であった昔の福神漬(左)と、カレーライスの付け合わせに変身した現在の福神漬(右)を比較したものです。

 左は福神漬を発明した酒悦の「元祖福神漬」。戦前から味は変わっていません。

 大量のご飯を食べるための食欲増進剤ですので、塩分は約7.2%とたいへん塩辛く、カレーと一緒に食べるには塩っ気が多すぎます。醤油の量が多いために、色は黒くなっています。

 右は大手メーカーによる現在のカレー用の福神漬。塩分は3.8%と約半分になり、カレーの味を邪魔することはなくなりました。カレーの付け合わせとして彩りを添えるために、鮮やかに着色されています。

最終更新日:11/17(木)14:24 東洋経済オンライン

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6444974

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