かつて日本では、1985年から1999年までクルマと人を鉄道で運ぶ「カートレイン」というものが全国各地に点在しました。
現在でもクルマを船で運ぶ「カーフェリー」は存続していますが、なぜカートレインは廃止されたのでしょうか。
春・夏・冬の臨時列車として運転をスタートしたカートレインは、行楽・帰省に用いるマイカーユーザーに好評を持って受け入れられました。当時は指定券の確保が困難だったほどです。
そこで1985年12月には両数を増やし、貨車7両・A寝台車3両体制に。
さらに1987年からは、途中の広島駅で乗降を可能とするために、同駅発着の貨車を2両増結することに。その結果、貨車9両・寝台車3両・電源車1両の13両で組成するようになりました。
前述のように、カートレインは複数列車が運転されるほどに発展しました。
そのため元祖カートレインは1988年「カートレイン九州」に改称。客車も、1993年からは14系寝台客車にスイッチしています。
A寝台からB寝台へとサービスは下がりましたが、B寝台化で定員は増加し、寝台料金も下がりました。
カートレインの欠点だった積み込み方法の煩雑さ、積載できるクルマの大きさ制限をなくし、通年で走らせられれば、再び旅行者から人気を得る列車になるのでは、と願うことしきりです。
そのカートレインですが、復活への模索も続いています。
2006年には、JR北海道が、自動車専用新幹線「カートレイン」の導入構想を発表しました。
本州と北海道を結ぶ青函トンネルは、複線の線路上に線路幅や最高速度、車体の大きさが異なる北海道新幹線と在来線貨物列車が共用する問題があります。
これを解決するため、新幹線の大きな車体にコンテナを積む貨物列車をまるまる積みこむ「トレイン・オン・トレイン」という大胆なプランが考えられました。
そしてこの車両を応用し、道外からの観光需要に応えるべくカートレインを復活させよう、という案も出ているのです。
このほか2017年になって、日本プロジェクト産業協議会が第二青函トンネルを新たに作り、鉄道用トンネルにカートレインを走らせようという壮大な計画を、国土交通省に提出しています。
2022年現在、「トレイン・オン・トレイン」構想は技術・費用面の問題が多く、実用化はまだ先になりそうですが、カートレインの復活は期待したいところです。
最終更新日:10/27(木)16:54 くるまのニュース