クルマを保有している人には馴染み深い「月極駐車場」。
しかし、よく考えてみると、駐車場以外では「月極」という言葉を見掛けることはほとんどありません。
いったい「月極」にはどのような意味があり、なぜ駐車場に対して用いられるようになったのでしょうか。
「月極」という言葉自体は、かなり古い歴史があることがわかりました。
しかし、ここで次の疑問が浮かび上がります。なぜ、駐車場以外では「月極」の文字を見ることがほとんどないのでしょうか。
過去の文献をひもとくと、1929年に刊行されたエドワード・S・モース著『日本その日その日』には「昨日私は人力車夫を 月極で雇ったが、非常に便利である」という表現が見られます。
さらに、翌1930年に発表された吉行エイスケ著『職業婦人気質』では「午前九時にやってくる月極のタクシーがすでに玄関わきで彼女の出勤を待っていた」という表現があることが確認できます。
また、大正から昭和初期にかけて活躍した小説家である菊池寛が、1910年代に京都で過ごした際のことを記した自伝小説『天の配剤』に次のような一文があります。
「自分が京都に居たとき、いろいろな物が安かった。食費が月に六円だった。
朝が六銭で昼と晩が八銭ずつだった。一日二十二銭の訳なのだが、月極めにすると二十銭に負けて呉れるのだった」
これらを見ると、少なくとも昭和初期までは月間契約全般を「月極」と表現していたことがうかがえます。
最終更新日:8/19(金)17:45 くるまのニュース