世界的に活躍したファッションデザイナー、森英恵さん(96)の死去を受け、ファッション界からは悼む声が相次いだ。
デザイナーのコシノジュンコさんは「私が19歳の時、新人デザイナーの登竜門『装苑賞』を受賞した作品は、審査員の一人だった森英恵先生が選んでくださった1点だった。私をこの業界に引き上げてくれたのはまさに森先生だった」と若き日の縁を振り返る。
1990年にコシノさんがパリにブティックを出店してショーを開いた際、森さんは見に来たという。「一言、『あなた、続けないとだめよ』と、パンとおっしゃってくださった。それが本当にうれしくて心強かった」。その活躍ぶりを「男性が多かった当時のデザイナーのなかにおいて最高の女性だった。チョウのデザインをはじめ、自身のスタイルを確立したことも偉大でした」とたたえ、「大きな何かがスコンと抜けてしまったようでとても寂しい」と声を落とした。
同じくデザイナーの鳥居ユキさんは「森先生は私の大先輩で、ファッション界の道を大きく開いてくれた方です。改めて最大の尊敬と感謝を申し上げます」と言葉を寄せた。
京都服飾文化研究財団理事の深井晃子さんは「森英恵さんは日本のファッションを開拓した」と評価する。「日本人が洋服を当たり前に着るようになったのは戦後。しかしそのころの日本の洋服は世界から見向きもされていなかった。そんななか、森さんはまず65年にニューヨークでショーを行い、そして77年にはパリでオートクチュール組合のメンバーとなった。米国とフランスできっちりと評価を固め、世界のファッション業界のなかでの地位を確立した。ファッションデザイナーとして初めて文化勲章を受章したのもこうした開拓者としての功績が評価されたからだろう」と、日本のファッション界の先駆者としての歩みをたどる。
また、森さんは多くのデザインを手がけるだけでなく、「日本の着物に使われるレベルの高い絹地の良さを、世界に発信もした」という。「94年に私が『モードのジャポニスム』展のキュレーションをした際には、オープニングに足を運んでくださった。ご自身も財団を作り、ファッション文化のレベルを高める取り組みにも力を注いだ森さんらしい姿として印象に残っています」と振り返った。【平林由梨、伊藤遥】
最終更新日:8/18(木)13:19 毎日新聞