長引くコロナ禍が、働く人たちを脅かしている。中国地方の解雇や雇い止めは4千人を超えた。収入が大きく減る人、仕事が見つからない人…。学生たちは就活で苦戦を強いられている。感染の「第3波」が高まる年の暮れ、街には切実な声が響く。
団地の入り口でずっしり重いチラシの束を抱え、中国地方の20代男性はため息をついた。印刷物を投函(とうかん)するポスティングは、思った以上の体力仕事だ。「副業」として始めて半年。「安定を求めて大手の正社員になったのに、こんな日が来るなんて思いませんでした」
観光関連の勤め先はコロナ禍で大打撃を受けた。春先からは自宅待機が増え、月収は大きく減って15万円に届かない。頼みのボーナスもゼロ。夏前に会社が副業を解禁してすぐ、日雇い仕事を仲介するアプリに登録した。スキルがいらず気軽に始められそうなのがポスティングだった。
月5日、指定された駅に集まり業者の送迎車に乗り込む。学生や主婦に混じり、会社員風の人もいる。「コロナの影響かな」と想像しながら団地へ。暑い日も寒い日も、チラシの束を抱えて歩き回る。200~300軒に投函して日当は7千円足らず。インクで黒ずみ、荒れた手を見て思う。「副業は自由で柔軟な働き方」と言うけど、好きでやっている人はどれだけいるんだろう。
同僚たちも同じように、副業にいそしんでいる。料理の出前サービス「ウーバーイーツ」の配達員、ファストフード店の店員…。みんな気は進まないものの「給料が足りないなら自分で稼げ、という会社のメッセージだから仕方ない」と諦めている。それにしても自助努力を求めるなんて―。組織は冷徹だ。
いまは事業縮小を検討し、さらなる給料カットや早期退職の募集を進める。大企業でも簡単に「暗転」する時代。「次は景気に左右されない公務員を目指す」と試験勉強を始めた同僚を横目に、気持ちがざわつく。「副業しないと生活できない給料じゃなあ…」。転職が現実味を帯びる。
コロナ禍に振り回されるうち、仕事への向き合い方が変わろうとしている人が増えているようだ。
広島市で写真事務所を営む男性(50)は「収入ゼロ」に直面し、本業とは別の仕事を掛け持ちして暮らす。でもやってみて思うのは、何とか生きていけるということ。「吹っ切れたのは、ある意味、コロナのおかげかも」と苦笑する。
この年の瀬も、手にするのはカメラではなく、配線工事の工具。山陰の建築現場へ10日間ほど赴き、日当1万2千円で働く。思い切ってやってみると、これも楽しい。「こうなると怖いものがなくなって」
5月ごろからカメラの仕事はがくんと減った。「3密」になりがちな結婚式の撮影も、雑誌のイベント取材も。追い打ちをかけるように、妻の勤め先も休業になった。この春、2人の子どもが大学と高校に入学したばかり。収入ゼロは「想定外」だった。
ふと思う。「あの誘いがなかったら、どうなっていたか」。なじみのガソリンスタンドに立ち寄った時のことだ。「仕事がない」と店長に打ち明けると、「うちでバイトしないか?」と誘われ、二つ返事でOKした。もう50歳。「雇ってくれるところなんてないだろう」。諦めかけていた自分にスイッチが入った。
昼間は給油スタッフとして働き、深夜は物流倉庫で荷物の仕分けをした。週末はバイクにまたがって弁当チェーン店の配達も。「トリプル副業」をこなし、いま考え始めている。「一つの仕事にしがみつかない働き方もありなんじゃないか」
カメラの仕事はいまだ回復途上。当面、配線工事の収入を軸にするつもりだ。「ひるまずに、できることをやった方が気持ちもへこまない」。コロナ禍は転機になるかもしれない。
最終更新日:12/21(月)10:01 中国新聞デジタル