ハラスメントや精神疾患、労働条件など、職場で起こるトラブルの原因はさまざまです。部下を持つ上司が、職場で問題を起こさないために知っておくべき知識とは何か。特定社会保険労務士の井寄奈美さんが具体的な事例を基に解説します。【毎日新聞経済プレミア】
A美さん(50)は化学製品製造会社で営業統括部長をしています。先日、担当地域内の支店の営業部長、次長が10人ほど参加するオンライン会議がありました。その場で、ある支店の次長であるB夫さん(55)の様子がいつもと異なっているのに気づきました。
会議の冒頭、A美さんが新商品の販売戦略を説明している時、B夫さんがなぜかニコニコしている姿が気になりました。その後、各支店の報告がありました。報告中、参加者の誰かが相づちを打ったり、「それはそうじゃないだろう」などと話している声が耳に入りました。
A美さんがオンラインの設定を確認すると、リモートで自宅から参加しているB夫さんのミュートが外れていることがわかりました。A美さんは全員あてのメッセージで「発言者以外はミュートにしてください」と注意した上で、B夫さんをミュートにしました。
ところが、ミュートを外してしまうのか、B夫さんのつぶやきが、また聞こえてきます。つぶやきの内容は誰かに向けた発言というよりも思いついたことを口にしており、テレビを1人で見ながら突っ込みを入れているような状態でした。
◇家庭内で問題抱えて深酒
A美さんは「B夫さんの様子がおかしい」と感じました。B夫さんはこれまで存在感が薄く、地味で控えめな印象でした。会議終了後、B夫さんの上司に連絡し、B夫さんの様子を自宅まで見に行くように指示しました。
その後、B夫さんの上司から連絡がありました。「B夫さんは数週間前から家庭内で問題を抱えているそうです。最近は深酒をすることが多く、昨晩もかなり飲んだようです。会議前にも飲酒していたのか、酒のにおいがしました」と言います。
A美さんの発言の際にB夫さんがニコニコしていたり、他の社員の発言時にミュートを外して独り言を言ったりしていたのも、「酔っぱらっていた」とすれば合点がいきます。
在宅勤務であっても就業時間中の飲酒は禁止されています。翌日の就労に支障をきたすような平日夜の深酒も避けるべきです。A美さんは、実直そうな印象のB夫さんが飲酒しているのは、精神的に相当参っているのではないかと考えました。
◇会社は健康問題にどこまで踏み込める?
早速、本社の人事部に連絡し、指示を仰ぐことにしました。就業時間中の飲酒に対する処分もありますが、産業医の面談を通じて心療内科などを受診してもらうようB夫さんに勧めるのが先決だということになりました。
ただ、原因が家庭の問題とのことです。会社としてどこまでB夫さんの健康問題に踏み込むことができるのか、心配しています。社員の健康問題はプライバシーの領域に入るため、他者が簡単に踏み込める範囲ではありません。このため自己管理が原則です。
他方、会社は社員が健康を害することがないように職場環境を整える必要があります。一定の範囲で社員の健康状態を把握し、担当業務や労働時間の見直しなど、社員が健康を悪化させないようにする義務があります。
具体的には、労働安全衛生法に基づき社員に定期健康診断を受診させ、必要に応じて医師や保健師による保健指導を受けてもらいます。その上で会社は就業上必要な措置を講じなければなりません。
◇ストレスチェックの活用を
精神面の健康については、従業員50人以上の事業所にストレスチェックが義務付けられています。ストレスチェックは労働者自身に自己のストレスに気づきを与えることを目的としたものです。
会社には個々の結果は通知されません。産業医が高ストレスと判断した社員に医師の面接指導を希望するかどうか打診し、希望する場合は会社を通じて面接指導する仕組みになっています。
定期健康診断では、会社はすべての労働者の健康状態を把握できますが、ストレスチェックの受診は労働者の判断に任されています。高ストレスであった場合も、本人が医師の面接指導を希望しない限り、会社には情報が届きません。このため会社は社員の精神面の健康状態について状況把握が難しいと言えます。
今回のケースでは、病院を受診するかどうかは最終的にはB夫さんが決めることになります。ただし、既に業務の遂行に支障をきたしていると考えられます。会社としては「業務の遂行ができる健康状態で働いてください。会社として何らかの配慮が必要であれば、医師の意見を聞いたうえで会社に伝えてください」と申し出ることになります。
社員は何らかの原因で心身に不調が生じることがあります。本人が異常に気づいていない場合もあります。リモートワークが多くなると、直接、顔や様子を見る機会が減ります。「社員がいつもと違う」と感じた時、上司は直接会って様子を確認したうえで、人事部などに報告し、指示を仰ぐ必要があるでしょう。
最終更新日:7/31(日)9:30 毎日新聞