「コロナ後」への動きが加速している。飲食店への入店やイベント入場の制限はなくなり、水際対策も緩和された。ただ「影響は今も残っている」と頭を抱える人たちもいる。岸田文雄首相は就任直後、所信表明演説の冒頭で「新型コロナとの闘いは続いています。私が、書きためてきたノートには、国民の切実な声があふれています。テレワークでお客が激減し、経営するクリーニング屋の事業継続が厳しい」と新型コロナウイルス禍でのクリーニング店の苦境に触れ、「こうした切実な声を踏まえて政策を断行していく」と宣言した。あれから8カ月。そのクリーニング店はどうしているだろう。そして、今もコロナのあおりを受ける業界への支援は行き届いているだろうか。
そこに、ロシアのウクライナ侵攻が追い打ちをかけた。原油価格の高騰で、ハンガーや溶剤などが値上がりした。卸売業者も、値上げ幅を抑えようと努力しているのは分かる。でも、仕上げた衣類を包むビニールが薄くなり、「これ以上は困る」と注文をつけたこともあった。「削れるのは人件費しかない」。30年来のパート従業員らに説明して勤務時間を減らし、その分、自分が朝6時半に出勤しているが、「限界を迎えつつある。ここまで追い込まれるとは」と落胆する。
岸田首相が昨年10月の所信表明演説でクリーニング店に触れたのは知らなかった。当時より1日の感染者や死者数は減ったかもしれないが、売り上げが戻らない状態は2年以上続き、家族経営の小さな店ではリモートという新しいスタイルにすぐに対応するのも難しい。
コロナで大きく売り上げが減った事業者に対する行政からの支援で、一度だけまとまった額を受け取った。しかし税金や経費の支払いですぐに底を突き、自転車操業のような状態に戻ってしまった。「他の支援にも申し込んだが、手続きが煩雑で審査も通りにくい」と清水さんは嘆く。
飲食店には、営業自粛や時短営業を求める代償として、行政の継続的な支援があった。経営者の中には「コロナが続けばいい」と願う人がいるらしいと知人に聞いた時は複雑だった。「私たちも、飲食業と同じように地域の暮らしを支えているはず。幅広い業種を継続的に支援してほしい」
鉄鋼メーカーの社員から花農家に転身したのは約30年前。事故で寝たきりとなった父健次さん(99年に死去)の介護に専念するためだった。それまで15年以上にわたって世話をしていた母みどりさん(89)が過労で入院。「これ以上は負担をかけられない」と決心し、仕事を辞めた。幸い、実家には約300坪の農地があった。広くはない土地を生かすため、利益率の高いコチョウランを育てることにした。
栽培は決して楽ではなかった。冷暖房を使い、ハウス内の温度を夜間は18度、昼間は25度に保つ必要がある。農業経験がないため専門書を読みあさり、大阪府の農業支援機関に何度も足を運んだ。苗から花が咲くまでの約3年間は無収入で、貯金を取り崩した。なんとか市場で評価される花を咲かせられるようになり、地道に生産を続けてきたところで直面したのが、コロナ禍だった。
最終更新日:6/17(金)11:07 毎日新聞