岩手県の北西部に位置する「安比高原リゾート」が“ざわざわ”している。このリゾート地には、ブナやダケカンバといった原生林があるので、樹や葉が揺れて“ざわざわ”と聞こえてくる、といった話ではない。2022年2月、高級ホテル「ANAインターコンチネンタル安比高原リゾート」(以下、安比インターコンチ)をオープンしたところ、「泊まったよー」「早く泊まりたい」といった人たちが増えていて、“ざわざわ”しているのだ。
安比高原のことも、安比インターコンチのことも、よく知らない人がいると思うので簡単に紹介しよう。安比高原の魅力は、なんといっても雪質にある。世界中のスキーヤーから「奇跡のシルキースノー」と呼ばれていて、12~4月には乾いた雪が降り積もる。ゲレンデの総面積は282ヘクタールあって、合計21のスキーコースの距離は45.1キロメートルもある。ちなみに、この数字は国内平均の2倍ほど。コースの平均距離は2.1キロメートルで、ほぼすべてがロングコースなのだ。
じゃあ、雪が溶けると、どうなるのか。敷地は緑に覆われているので、夏模様に衣替えする。リゾート内でゴルフ、テニス、サイクリングなどを楽しめることができるのだ。……と、このようなことを書くと、「なんだかバブルの香りが漂うなあ」と思われたかもしれないが、その通りである。1970年代の後半から、リクルートの創業者である江副浩正が、社員研修施設としてゴルフ場などをどんどん開発していったのである。
で、その後はどうなったのか。詳細は資料などをあたっていただくとして、ひとことで言うと「バブルのときにはうまくいったが、泡がはじけてからはいまひとつ。グループの借金を減らさなければいけなくなったので、2003年に売却した」のだ。売却先は、岩手ホテルアンドリゾート(盛岡市)である。
次に、安比インターコンチの話をしよう。リクルートから経営を譲り受けた岩手ホテルアンドリゾートは、安比高原で2つのホテルを運営していた。自社でやりくりしていていたが、その後、英国に拠点を置くホテルグループ「IHG」と業務提携を結び、21年12月に、2つのホテルをリブランディングしたのだ。その流れの中で、安比インターコンチが産声をあげた次第である。
国内にインターコンチのブランドを掲げているホテルは10施設あるが、安比はどのような特徴があるのだろうか。全38室あって、客室は7タイプある。建物は3階建てなので、大きなホテルに慣れている人からは「こじんまりしているね」といった印象をもたれるかもしれない。施設内には、レストラン、クラブラウンジ、温泉大浴場、ジムなどがある。
このように書くと、「特徴らしい特徴はなさそうだけど。ひょっとして、特徴がないことが特徴?」と感じられたかもしれないが、宿泊料金を聞くと、懐が“ざわざわ”する人がでてくるはずである。最も安い部屋で、1泊7万円からである。このほかに、15万円の部屋もあるが、最も高い「プレジデンシャルスイート」(2人)は、1泊100万円からである。
出張の際に「どこに泊まろうかな。ここのホテルは9000円か、ちょっと高いな。あ、こっちは8500円! ここにしよう!」といった100円単位の攻防を繰り広げているビジネスパーソンにとっては、ちょっと信じられない話かもしれないが、100万円部屋の稼働率は想定以上の数字が出ていて、5月は70%を超えたのだ。
安比インターコンチの隣にあるホテルにも、1泊50万円ほどの部屋がある。盛岡の駅からクルマで1時間ほどかかるこのリゾート地に、1泊50万円もする部屋があるの? と失礼ながらに感じてしまったが、関係者に聞いたところ「利用者はそれほど多くはない」とのこと。そうした状況なので、業界関係者からは「100万円の部屋に泊まる人なんて、そんなにいないよ」などと冷ややかな目で見られていたが、予想を上回る形で利用客がここに来ているのだ。
ところで、100万円の部屋はどんな間取りをしているのだろうか。取材したところ、広さは306.90平方メートルである。部屋の中に入ると、10平方メートルのエントランスがあるので、一人暮らしをしている人からは「オレはその広さで生活をしているよ」と思われたかもしれない。
先に進むと、天井の高さ5メートルの部屋がある。広さは110平方メートル。部屋には、長方形の大きなテーブルがあって、椅子10脚が並んでいる。反対側にはL字のソファがあって、巨大なテレビーがどーんと設置されている。その奥にベッドルームがあって、広さは20平方メートル。ベッドが2つあって、ソファが備えられている。
部屋の中にある階段をのぼっていくと、ルーフバルコニーがあって、そこにもソファが用意されている(お金持ちはソファがお好きなのかしら?)。このほかにも専用キッチンがあったり、ひのき風呂があったり、トイレが3つあったり。なにもかもが規格外といった感じであるが、部屋の中に専用エレベーターが設置されていることにはびっくりである。
2人で利用するにはちょっと広すぎるのでは? トイレは3つもいらないでしょ! と思っていたが、ホテルの関係者に聞いたところ「友人や知り合いなどを呼ばれて、パーティーをされている方が多いですね」とのこと。
繰り返しになるが、最も高い部屋の料金は「100万円から」である。にもかかわらず、なぜ稼働率が70%を超えているのだろうか。安比インターコンチで広報を担当している阿部隼人さんに聞いたところ、理由は2つあるという。
ちょっと話がそれてしまうが、ホテルファンの間でよく聞く言葉がある。「オレはハイアット派だな」「ワタシはマリオット派ね」といった感じで、それぞれ“推し”のホテルがある。その理由を聞くと、ランチをよく利用していたり、部屋のインテリアが好みだったり、ロビーでの居心地がよかったりといった声が多い。ということは、全国にインターコンチ推しがいて、新しいところができたとなれば「急げー!」といった具合に、泊まっていく人がいるのかもしれない。
阿部さんに尋ねたところ、「その通りです」とうなずいていた。全国にその数がどのくらいいるのか分からないが、予約状況を見ていると、この勢いはしばらく続きそうである。
もう1つの理由が「学校」である。英国の名門私立校「ハロウスクール」の姉妹校が8月に、安比高原で開校するのだ。小学6年~高校3年生(11~18歳)の生徒を受け入れるわけだが、国内だけでなく、海外からもやって来る。ちなみに、この学校を卒業生をみると、英国のチャーチル元首相のほかに、歴史上の人物がズラリと並んでいる。卒業生の多くは、オックスフォード大やケンブリッジ大に進学するそうだ。
個人的に驚いたのは、学費である。全寮制ということなので、そこそこいるんだろうなあと思っていたが、年間850万~920万円もかかるらしい。「4月から募集を始めていまして、学校の見学や面接などで来られた際に泊まられる方もいらっしゃいます」(阿部さん)
子どもの学費に年1000万円ほど出せる人たちなので、1泊100万円の部屋に泊まるのも、それほど難しい話ではないのかもしれない。ハロウは将来、定員920人を見込んでいるので、そうなるとどんなことが予想できるのか。「920+保護者+兄弟姉妹」という計算ができるので、学校ができることによるホテルの経済効果はかなりあるとみていい。
安比高原にハロウが開校するのは、“たまたま”ではない。実はホテルを運営している岩手ホテルアンドリゾートが誘致したのだ。同社は「安比バレー構想プロジェクト」なるものを掲げていて、スキー場の来場者50万人を目指している。そのために、さまざまなプロジェクトが動いていて、高級ホテルをつくったことも、英国の名門校を誘致したことも、綿密に練られたシナリオに書かれていることである。
ところで、安比高原のスキー場には、どのくらいの人が来ているのだろうか。歴史をさかのぼると、1991年には約150万人が訪れていたそうだ。当時は交通渋滞が頻繁に起きていたが、いまは違う。新型コロナの感染拡大の影響も受けて、2021年のシーズンは約26万人である(ピーク時の6分の1ほど)。
「目標50万人といっても、バブル時の3分の1でしょ。ウチの会社のノルマなんて、過去最高の1.5倍だからね」などと思われたかもしれないが、当時と今とでは違うことがある。高級ホテルを建てて、英国の名門校を誘致して。このほかにもさまざまな手を打って、富裕層を集めようとしている。つまり、全体の数は減っても、1人当たりの単価を上げる作戦に出ているのだ。
もうひとつ、忘れてはいけないことがある。コロナの感染が広がって蒸発した、外国人観光客だ。コロナ前、安比高原に来る人の3分の1は外国人観光客だったので、その人たちが加わると、年50万人という数字はそれほど難しくはないのかもしれない。水際対策などが緩和されたことによって、今後、外国人観光客の増加が予想されるが、すでに海外の人から「100万円の部屋は空いているの?」といった問い合わせがきているそうだ。
となると、安比インターコンチの稼働率は上がりそうだが、一方で課題もある。“あれもこれも”がないことだ。筆者が取材したところ、ホテルにはお金持ちを満足させる設備が整っているし、サービスも手厚い。しかし、である。ホテルの外に出るとどうか。冬はスキーを楽しむことができるし、夏は散策などができる。ただ、ランチを楽しむレストランが不足しているし、大型の商業施設もないし、ナイトスポットもない。
ホテル側としては、1泊よりも2泊、2泊よりも3泊、3泊よりも……といった形で、多くの人にできるだけ長期に滞在してもらいたい。しかし、周囲の環境に目を向けると、コンテンツが圧倒的に不足しているのだ。このことについて、広報の阿部さんも認識していて「ご指摘の通り、不十分なところがまだまだありまして。できるだけ多くの人に楽しんでもらえるように、さまざまな店を誘致しているところです」という。
最終更新日:6/1(水)17:20 ITmedia ビジネスオンライン