淡路島に350人 パソナ移転の効果

目の前に真っ青な海と空が広がるカウンターは、最も人気のある席かも知れない。ここが海辺のレストランなら、予約が真っ先に埋まるであろう特等席だが、実はここはレストランではない。人材派遣大手・パソナが兵庫県の淡路島に新設した「ワーケーションハブ鵜崎オフィス」だ。



 同社が自然豊かな環境の中で、ワーク(仕事)とバケーション(休暇)を組み合わる「ワーケーション」を実践しているオフィスのひとつである。元々は土産物店だった海沿いに建つ建物を改装し約120人のパソナの社員が働いている。

 2020年9月、新型コロナウイルスの流行でテレワークが急速に増えるなか、パソナは東京にある本社機能の一部を、段階的に兵庫県の淡路島に移転すると発表し大きな話題となった。

 発表の1か月後から淡路島への移転が始まり、2021年12月時点で、東京の本社で働く約1800人のうち約350人が淡路島に移住した。2024年5月末までには約1200人が移る予定だという。転勤については、社員本人の意向を尊重し、基本的には希望した人だけが移り住んでいる。

 現在、淡路島には6か所のパソナのオフィスがあり、そのほとんどが島の北部に位置する淡路市にある。「ワーケーションハブ鵜崎オフィス」もそのなかのひとつだ。

 そのほか、複合文化リゾート施設「淡路夢舞台」にもパソナがオフィスを構えている。ここは利用客が減って店を閉めたレストランをそのまま居抜きで利用している。フロアは広々としており、デスクのすぐ横にはビールサーバーが当時のまま残っていた。もともとあった施設をお金を掛けて改装することなく、そのままオフィスに転用するしたたかさが感じられる。

 夫婦ともにパソナに勤め、昨年家族とともに淡路島に引っ越してきた男性社員は「東京では通勤で1時間も満員電車に乗っていたが、こっちでは車で10分。最初は子供が学校に馴染めるかどうか心配だったが大丈夫でした。今はここで少年野球をやっています」と淡路島での生活に満足しているという。

 取材に立ち会ってくれた広報部の担当者は、「淡路島に来て考えるようになったのは、健康について。食べるものとか今まで考えなかったことについて、考えるようになった」と淡路島に来てからの自分自身の変化を語ると共に、「『家族と過ごす時間が増えた』とみんな言います」と教えてくれた。

パソナがなぜ淡路島を移転先に選んだのか、疑問を持つ人も多いかもしれない。じつはパソナと淡路島の関わりは長く、はじまりは2008年まで遡る。この年にパソナが「チャレンジファーム」という事業を開設し、独立就農を目指す農業ベンチャー支援制度をつくったのだ。

 その後も、自然に囲まれた約38000平方メートルの広大な敷地で、自然と人との共生を学ぶ機会をパソナが順次提供し、昨年10月には農地のすぐ近くに地産地消の野菜を主役にした料理を味わえる、茅葺屋根の農家レストランのオープンに至った。

 そのレストランの軒下のテーブル席で、気持ちよさそうに仕事をしていた男性に声を掛けたところ、偶然にも2008年に「チャレンジファーム」事業の立ち上げで淡路島に来た社員だった。

 当時の感想を聞くと「最初は土地だけあって設備も何もない中で始まりました。当初は地元の人から『すぐに出て行くのだろうな』と思われていましたが、太鼓の演奏活動などを通して地元との交流も深まり、続けて来て良かったです」と話してくれた。

 「チャレンジファーム」開設からわずか3年後の2011年には、約200人の若者たちが“半農半芸”をコンセプトに、農業と芸術活動などを通じて地域活性化に取り組む「ここから村」を立ち上げた。彼ら卒業生たちの多くは今も島内で地域活性化に取り組んでいるという。

 今回の取材では、淡路島にあるパソナの新しいオフィスや施設などを回りつつ、そこで働く社員らの声を拾い上げることがひとつの目的だった。加えてパソナグループの南部靖之代表取締役グループ代表に、今回の移転や今後の構想についても直接聞いてみたかった。そこでまずは、南部代表に本社機能を移した目的と淡路島を選んだ理由を伺った。

 「それには3つ目的があります。1つは、会社を継続させるという意味でBCP(事業継続計画)。2つ目は、新産業を作ろうと。それには東京よりも地方がいい。3つ目は、健康な社員の身体を作ろうと。

 じゃあなぜ淡路島が一番いいかというと、私が神戸で育ったということもあって淡路島は非常に親しみのある場所だからです。2つ目は、2011年に淡路島で大学生を集めて半農半芸という新しい制度を作って市と県の援助を得てやり始めたので馴染みがあった。

 もう一つは淡路島の魅力。自然環境に加え、1時間圏内に伊丹、関西、神戸、徳島と空港が4つもあり、世界遺産が5つもあります。雨が少なくて気候が温暖で、食べ物が美味しい。さらに、大マーケットの大阪と神戸に1時間以内の場所に位置している。全てが整っていますよね。

 じつは東京で得られない人材が淡路島で得られるんですよ。東京ではAIだとかITの人材はなかなか得られない。本当に難しい。ここだとびっくりするような人材が集まるんです。神戸、大阪のパナソニック、シャープ、サンヨーとかに居たトップレベルのエンジニアが戻って来たいと。凄い数ですよ」

今回の移転で淡路島に移り住んだ社員の多くは、パソナが淡路市内などで社宅として複数借り上げたマンションに住んでいるという。

 そのなかには1階に託児施設のあるマンションもあり、2歳から小学4年生までの約40人の社員の子供たちを預かっている。子供を受け入れる時間は朝9時から夜7時までで、希望者には食事も出す上、施設内では塾、空手、バレエ、ブレイクダンス、アート、レゴ、英語といった習い事まで用意されている。

 しかし、パソナの力の入れどころは、社員が働きやすい環境作りにとどまらない。淡路島の北部を中心に、アトラクション施設やレストランなど、観光客誘致や地元の活性化を目指した15の施設を作り、島内に住む地元の人たちにも雇用の場を提供しているのだ。

 その一つで、閉校になった小学校を改装し、2012年にオープンした地域活性の情報発信基地「のじまスコーラ」を訪ねた。

 1階には地元で獲れた野菜や特産品を販売するマルシェがあり、壁には小学校の卒業制作や校歌などが書かれた額がそのまま掛かっていた。校舎内にはその他にもレストランやバーベキュー・テラスなどがある他、地元住民が企画・運営する料理教室なども開かれ交流の場となっている。

 南部代表は、移転後に感じた基本的な課題として、オフィスや住居が圧倒的に足りないとしつつ、インフラとしては「子供の教育」「通信網」「医療」の3つを挙げた。この順番で課題を解決していかないと、なかなか地方の活性化は上手くいかないと実感を込める。

 「もう一つは、ひょっとしたらこれが一番大切かもしれないけれども、自治体の協力体制が不可欠です。

 やっぱり関連のグループ会社とか、取引先とか、ベンチャー企業とかが入ってこないと活性化しない。パソナ1社だけでも地域活性には多少は影響があるでしょうが、本当の意味で地方創生にはならないと思っています。

 300組の夫婦が本社から来た場合に、配偶者の300人へも仕事を作ってあげなければならない。移住してきた社員のパートナーたちはパソナの社員とは限りません。

 例えば、女性の社員の配偶者が仕事を辞めて一緒に淡路島に来た場合、ITの仕事や、あるいは観光産業、ホテル産業とか、レストラン産業とかいうものを社員のパートナーのために作っているのです」

いまや淡路島全体の魅力を再発見できる仕掛けをパソナは続々と作り続けている。南部代表によれば、これらの施設を作った理由の一つが「社員が喜ぶことをやろう」だと聞いてとても驚いた。

 これまでは観光客があまり訪れることのなかった西側に新たに着目し、海岸沿いを「淡路島ウエスト・コースト」と名付けた。『日本の夕日百選』にも選ばれた絶景を眺めながら、食事をゆったりと楽しめるようなレストランを作り、観光地としての魅力を再構築している。

 また「ウエスト・コースト」から東に向かう山中には、瞑想を体験できる宿泊施設やフレンチレストラン、テーマパークを事業として展開。この開発により、あっという間に淡路島全体がリゾート地へと生まれ変わった。

 このような地方創生の実現のためには、地方自治体の協力は欠かせない。また南部代表が挙げた、教育や、通信網、医療などのインフラも必要不可欠だ。しかし、ハード面が整ったところでその中身を動かす人材がいなければ、せっかく整えたものもただの箱となってしまう。

 そんな考えが湧き、地方創生の実現にあたって、何が最も重要なのかを質問したところ、こんな答えが返ってきた。

 「想いがあってエネルギーを出せるという意味では、自分の生まれ故郷でやる、育った環境でやるというのが一番大切だと思う。だからやっぱり、想いというのかな、地方創生するためには出身者を洗い出して、そしてエネルギーのある人を育てていくことでしょうね。

 プロデューサー的な役割でもいいし、地方プロデューサー、地方から出た人を自治体が真剣に探して、そしてやれば行けると思いますよ。案外、地方創生の鍵は、その地方の出身者を探して、ちゃんとしたプロデューサーを育てることかも知れないな、と僕は思います」

 今回、最も印象に残ったのは、パソナのどのオフィスに行っても、東京から移って来た社員の表情が明るくキラキラしていたことだ。何か新しいことをやっている、ワクワクするようなことに取り組んでいるという思いが、その表情から伝わってきた。

 「パソナが淡路島を乗っ取るのではないかと言われたこともありました」とある社員が言っていたが、これだけのスピードで淡路島に進出してきたら、地元の人たちにも様々な感情があることも想像できる。

 しかしその時に鍵となるのは、淡路島に最初に乗り込んできた前出の社員のこの言葉に表れているのだと思う。

 「もっと(東京から来て)住んでいる社員が、地元の人と交流して欲しい」

2026年にパソナグループは創業50周年を迎える。2025年は阪神淡路大震災から30年の節目でもあり、その年に大阪・関西万博も開かれる。節目の年をこれから迎えるにあたって、南部代表の頭のなかで描いた目的は、現時点で何%まで達成しているのだろうか。

 「2015年に、10年後の2025年のパソナの目標を作りました。1年ぐらいコロナの影響で全く止まっていましたから予定よりも遅れていますが、プランとしては現在のところ20%くらい行っていると思いますよ。

 まだまだこれからやりたいことが増えてきているから。あとの80%は図面に入っていて、あるいは色々な計画を立てたものを実行に移していくだけです」

 南部代表のインタビューは、自ら長年地方創生に関わって来ただけあって、日本の大きな課題の一つとなっている地方の活性化について大きなヒントを得るものになった。

最終更新日:6/1(水)12:11 現代ビジネス

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6428105

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