若い方は“ブックマッチ”をご存知だろうか。箱入りの木軸ではなく、二つに折り畳んだ表紙に挟まれた紙製のマッチだ。指ではじいて片手で点火するのが流行った時期もあったが、最近では滅多に目にすることもない。そんな中、国内で唯一、ブックマッチを生産していた会社が製造をやめるという。ネット上では残念という声が拡がっている。
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「県内には50近くのマッチ会社があったそうです。当時、マッチの薬剤は天日で乾燥させていたため、晴天の多い瀬戸内が適していたこと、神戸港で力を持っていた華僑が中国やシンガポールなどに輸出したためと言われています」
最盛期の1907(明治40)年には、全国で114万マッチトン(1マッチトン=約35万本)が生産され、8割ほどが輸出されたという。明治から大正にかけて、日本はアメリカ、スウェーデンと並ぶ三大マッチ製造国と呼ばれた。
最終更新日:6/1(水)11:44 デイリー新潮