テレビCMで「芸能人は歯が命」というキャッチコピーで一世を風靡(ふうび)した歯みがき剤「アパガード」。この製品を開発したサンギ(東京都中央区)は当時、大ヒットに乗った拡大戦略が裏目に出てしまいました。それを立て直したのがサンギ創業者の妻で、後に2代目社長となったオーストラリア出身のロズリン・ヘイマンさんです。価格競争をやめてブランド立て直しに力を入れ、2008年から売上高は右肩上がりになっています。
商社マンだった経験を活かし、夫の佐久間さんは商社としてサンギを創業。最初はフランス産ワインなどを輸入するとともに、当時はまだ珍しかった「特許」という知的財産を仲介する仕事を始めました。その一つが「ハイドロキシアパタイト」という耳慣れない骨や歯に関する成分でした。米航空宇宙局(NASA)が、宇宙の微少重力環境下で弱りやすい歯を強化するために新しい歯質を形成する充てん剤を提案したものです。
「だったら日常の歯みがき剤に入れたら、歯を修復できるのでは」。佐久間さんのアイデアが、後の「アパガード」につながります。商品化までは試行錯誤の連続。大学で歯科医の協力も仰ぎながら研究開発を進めるとともに、「修復型歯みがき剤」を薬用成分として認めてもらうべく奔走したそうです。
1985年に「アパガード」を発売したものの、ハイドロキシアパタイトが1993年に薬用成分として認可されるまで、あまり売れない日が続きました。
夫とは別の道で生計を立てようと考えてきたロズリンさんでしたが、夫の要請もあって99年にサンギ入社を決意しました。「まず実行したのは事業やブランドの絞り込みです。夫の持っていたクレジットカードにもハサミを入れて絞り込みましたけどね」と今は屈託なく笑うロズリン現社長ですが、当時は立て直しに必死だったといいます。
売り上げの確保よりも、ブランド立て直しを優先。14に増えていた歯みがき剤のブランドも3つまで削減したほか、総合スーパーや安売り店には「ブランド維持のため、価格交渉は今後しません」と宣言したのです。
「当時の営業部長は『そんなことをしたら、ますます売れなくなって大変だ』と怒っていましたが、主力のアパガードは2000円台だった価格が700円近くまで下がってしまっていました。だから今後は値引きもしないしリベートもなし、その代わり売り場での什器などを整備してブランド力を高めて、価格を元の水準に戻そうと力を入れました」とロズリンさん。
一方で「ブランド管理室」を新設して、価格を維持できるためのリブランディングを徹底したのです。
最終更新日:12/6(月)19:50 ツギノジダイ