ひと口サイズの小さなチョコレートの中にバナナ、アーモンド、ストロベリー、パイナップルの4種のクリームが入っている不二家の「ルック(ア・ラ・モード)」チョコレート。いろいろな味が楽しめるコンセプトが支持されて、2022年には発売60周年を迎えるロングセラーだ。黄色いパッケージに黒文字で「LOOK」と書かれたデザインでも親しまれてきた。はやりすたりの激しい菓子業界にあって、ルックはなぜ人気であり続けるのか。
1962年に発売されたルック。そのネーミングはファッションからきているという。当時、流行し始めた「マリンルック」「ペアルック」などのファッション用語から、新しい語感として「ルック」が採用された。「ア・ラ・モード」も、フランス語で「流行の」「現代風の」を意味する。
チョコレート商品には様々なフレーバーがあるが、基本的に1つの商品には1つのフレーバーというケースが多い。同じパッケージの中に複数のフレーバーが混ざるタイプは珍しい。だが、ルックはバナナ、アーモンド、ストロベリー、パイナップルの4種が3個ずつ、計12個が1つのパッケージに入っている。
発売当初の味は、現在も残るバナナ、ストロベリーのほかに「キャラメル」「コーヒー」だった。いずれもチョコレートに合う味から選んだという。
「チョコレートでフレーバーを包んだ商品が国内市場にいろいろと登場し始めた中で、4種の味を入れたのは非常にニッチ(すきま)を攻めた商品だったと思います」と説明するのは、不二家の菓子事業本部営業本部の菊池祐一商品企画部長だ。
「発売当時もそうでしたが、今も異なる味が1つのパッケージで売られている商品は、ほとんど見当たりません。これは製造ラインを作る際の難しさがあるからだと考えています」(菊池氏)
ルックはチョコレートの中に、4種のフレーバーを持つクリームが中心に入る構造だ。これを製造するには、一般的な板チョコとは異なる、複雑な工程が必要になる。
具体的な工程は主に3つに分かれる。溶けたチョコレートなどを充填するデポジッターを使って、(1)1粒の型(シェル)に、上の部分となるチョコレートを流し込んだ後、余分なチョコレートをかき出して、冷やして器状に固める(2)4種の味それぞれのクリームを流し込む(3)底となる部分にチョコレートを流し込み、平らにふたをする――の3工程だ。これには少なくとも6台のデポジッターが必要になる。さらに、4種のクリームを仕込み、保管する設備も必要だ。
「普通のチョコレート製造ラインでは1~2台のデポジッターで十分。6台なんて設備投資も手間もコストもかかる製造法を今はどこもやろうとしないので、似たような商品が出てこないのでしょう」と菊池氏は説明する。「発売当時、そのような製造工程が参入障壁になるとまでは考えていなかったかもしれません。でも、結果的にまねが難しい商品になったと思います」(同)
最初の4種にラインアップされていたキャラメルとコーヒーは、66年にパイン、アーモンドに切り替わった。それ以降は基本的に4種の味は大まかには変化していない。「試しに入れてみよう」と、少しユニークな味に挑戦したことや、コーヒーなどを一時的に復活させたこともあるが、結局は今の4種に戻ってきたという。
そんな試行錯誤の中でひっそりと消えていったフレーバーもある。「93年にグレープ(ぶどう)味を入れたことがありましたが、なぜか香りが強くて、パッケージの中がグレープの香りだけになったのです。『これはいかん』と、すぐに元の4種に戻しました」と菊池氏は苦笑する。ほかにも、2007年に発売した「ルック エキゾチック ア・ラ・モード」では当時、南国のフルーツとして流行していたパッションフルーツ味を入れてみたが、これも評判が良くなくて早々にあきらめたという。
商品開発畑の長い菊池氏は、ルックの難しさを、「購入者が嫌いな味が入っていると買われなくなってしまう点です。1つでも嫌いな味があると、敬遠されてしまう。だから、1つのパッケージに盛り込む組み合わせと、4種のバランスが極めて重要になります」と語る。
実は4種のフレーバーについては2年おきに「どの味が好きか」というアンケート調査を実施している。好まれる順番は年代で移り変わってきた。当初は1位がストロベリー、2位がバナナ、3位がアーモンド、4位がパイン味だったという。だが、14年以降は1位と2位が入れ替わり、バナナが首位になっている。
「だからといって、3位や4位を変えようとすると売れなくなる。商品企画の担当者としては、全てをフルーツ味で統一したくなるところもあるのですが、そうなると売れなくなるから不思議なんですよね」と、菊池氏はルックの難しさを解説する。この「バランスの妙」も、他社が安易に参入しても越えられない壁になっているようだ。
そもそもなぜ、3種や5種ではなく、4種だったのか。種類の多さを印象づけるには5種のほうが効果的で、厳選したフレーバーとして押し出すには3種でもいいはずだ。
「当時の資料が少なくて不明な点も多いのですが、すでに主力の板チョコで大手がひしめき合っている中で、独自の路線をとるしかなかったのではないかと考えています」と菊池氏。2020年に創業110年を迎えた不二家は、菓子事業に関してはオーソドックスな路線から少し外れた、独自色の濃い商品が多い。
不二家の創業は1910年にさかのぼる。横浜市内で古物商として働いていた藤井林右衛門が外国人居留区に近い元町で洋菓子店を開業したのが始まりだ。同年にはクリスマスケーキを発売していたという。
開店から2年後の12年に渡米。洋菓子がおしゃれな店で売られていることに感銘を受け、帰国後はソーダ水を提供する喫茶室を設けるなど、今の「不二家レストラン」などにつながる喫茶・飲食部門にも乗り出す。
当時はシュークリームやショートケーキが人気となったという。23年8月には東京・銀座にも店舗を構えた。同年9月1日の関東大震災では全店舗がほぼ焼失する大きな被害を受けた。だが、翌24年には銀座店や伊勢佐木町店(横浜市)をバラック建てで再開。以後は東京都内を中心に洋菓子と喫茶店・食堂の展開を本格化した。
当時のチョコ事情はどうだったか。日本では森永製菓の創業者である森永太一郎が1899年に「森永西洋菓子製造所」を設立。1918年には原料のカカオから一貫製造する国産第1号のチョコ「森永ミルクチョコレート」を発売した。
不二家の公式ホームページによれば、チョコ商品の開始は35年の「ハートチョコレート」となっている。ちなみに不二家の人気キャラクター「ペコちゃん」の誕生は50年、看板商品の1つである「ミルキー」の誕生は51年だから、チョコ製品はペコちゃん、ミルキーよりも「先輩」にあたる。
ハートチョコレートはハート形という、他社にはないデザインで作り、商標も登録した。ほかのチョコレートでも、駄菓子店で昭和の子供たちが愛した「パラソルチョコレート」(54年発売)がある。こちらも見た目が「技あり」だ。
独自路線を選ぶのは、不二家の流儀とも映る。たとえば、代名詞的存在のミルキーは色が真っ白な点や食感がやわらかい点で、キャラメルともキャンデーとも別物だ。ソフトな食感の「カントリーマアム」(84年)は「固くてサクサク」というクッキーの常識を覆した。飲料でも不二家は「ネクター」(64年)が有名だ。
ルックもほかの不二家商品と同じように、常識やセオリーから少し外れた部分でユニークな強さを発揮し、その持ち味がロングセラーにつながっている。「独自路線を貫き、ファンを獲得して、長寿商品に育てる」。これが不二家流といえるのかもしれない。
(ライター 三河主門)
最終更新日:11/27(土)20:35 NIKKEI STYLE