自動運転をめぐる技術開発や実証実験が各地で進む中、茨城県境町で1年前に始まった自治体初の自動運転バスの定常運転サービスが根を張り始めた。車内にオペレーターが乗る有人サービスは5段階ある自動運転の「レベル2」の位置づけではあるが、11人が乗車可能な車両は右左折を含む大半の運行を自動で行う。丸みのあるデザインの自動運転バスが他の車などと一緒に街中を走る様子は近未来を感じさせる光景だ。「駅がない」という交通面での大きな弱点を抱える境町は「住み続けられる町」に生まれ変わるため、財源面の課題を意欲とアイデアで乗り越えながら前進を続けている。(SankeiBiz編集部)
■右左折も自動で走行
東京駅から約50キロほど離れた人口約2万4000人の茨城県境町。古びた商店や住宅が軒を連ねるバス通りには車や原付が行き交い、自転車やおぼつかない足取りの高齢者も気ままに道をわたっていく。
地方の町ならどこにでもあるこんな風景の中に1年前、ちょっと変わった電気自動車(EV)によるバス事業が始まった。どちらが前か後ろか分からない丸みを帯びた小型バスのような車体に明るい水色や黄色が印象的なカラーリング。速度は時速20キロ未満と遅めで、バス停で止まるたびに後続車に追い抜かれていく様子はどこか可愛げがある。
見かけ以上に印象的なのはその内部だ。車内にハンドルはなく、オペレーターがタッチパネルと手にしたコントローラーを操作するのは安全確認が必要な発車時や駐車車両の回避といったタイミングだけ。交差点での停車や直進、右左折は自動で行われ、道路を横切る自転車などもカメラやセンサーで感知して必要に応じてシステムがブレーキをかける。
境町はかつて利根川沿いの舟運の拠点としてにぎわいをみせた。今は自動運転サービスの先進地として脚光を浴びる。サービス開始の2020年11月26日から1年間の実績を確かめようとする他の自治体や企業の関係者、研究者らの視察が絶えない。
今月15日午前10時半ごろスキー場のゴンドラほどの広さの車内に町内の女性(80)が乗り込んだ。慣れた様子で乗降客チェック用の顔認証を済ませ、オペレーターと雑談を交わしながら席に着く。「病院に行くのによく乗ります。私が一番使っているんじゃないかしら」と話す笑顔からは、自動運転バスが地域に愛されている様子がうかがえる。
■鉄道駅のない町
境町が自動運転サービス導入の先頭ランナーとなった背景には町が抱える交通面の弱点がある。町内に鉄道駅がないのだ。
「最寄り駅」のひとつである東武鉄道の東武動物公園駅(埼玉県宮代町)までは路線バスで約40分。若い世代は買い物のため、車で1時間ほどのさいたま市や千葉県柏市などに出かける。生活に不便な町からは若者が離れ、人口減少と高齢化が進む。地方の自治体が直面する共通の課題だ。
そんな境町が大きく生まれ変わる転機は19年11月に訪れた。橋本正裕町長が東北地方の自治体で行われた自動運転バスの実証実験の記事を見つけたことだ。橋本氏は即座に実証実験を行った携帯電話大手ソフトバンクの子会社で自動運転サービスを手掛けるBOLDLY(ボードリー、当時の社名はSBドライブ)とコンタクトをとり、同12月に佐治友基社長と面会。実証実験の先を行く、定常運転の実現に向けた協議を始め、翌年1月には町議会で予算が承認された。
このスピード感は35歳で町議会の議長を務め、14年に38歳で町長となった橋本氏の流儀。一方、ボードリーにとっても橋本氏の申し出は絶好のタイミングだった。佐治氏は「当時はすでにさまざまな自動運転車を使った実証実験を3年間続けており、いつでも定常運転できる状態だった。やりたいと言ってくれる自治体があれば、すぐにプレゼンできるように資料は常にカバンに入っていた」と話す。
サービスに際してはフランス製の「NAVYA ARMA(ナビヤ アルマ)」を3台導入。ボードリーが実証実験で試した約20種類の車両の中でソフトやサービス面での完成度が最も高かったという。また、運行管理には全国各地で遊戯施設や幼稚園などの送迎サービスを請け負う「CENEC(セネック)」が参画し、町内で遠隔監視システムを運用している。
サービスは2つの停留所を往復する約5キロの第1期ルートで開始。その後の停留所の増設や第2期ルートの新設で、現在の停留所の数は16まで増えた。病院や子供の遊び場、バスターミナルなどを結ぶ走行経路は約20キロにおよぶ。今年11月中旬までに延べ約5000人が利用している。
■自動運転バスは手段のひとつ
ただ、自動運転バスが町の課題をすべて解決するわけではない。町長の橋本氏が強調するのは、「目指しているのは、境町はずっと住み続けられる町だという安心感をもってもらうこと。自動運転バスはその手段のひとつにすぎない」という点だ。
自動運転バスの運行には5年間で約5.2億円の予算が計上されている。年間でみれば約1億円だ。21年度から国の地方創生推進交付金対象事業となり、事業費の半額の補助を受けている。しかし自動運転バスの利用者からは料金を徴収しておらず、事業単体で採算がとれているわけではない。
一方、自動運転バスが町に経済効果をもたらしていることは明らかだ。自動運転バスの利用者の中には、町外から「自動運転バスに乗ってみたい」と町を訪れた観光客も多い。ルート上にある「道の駅さかい」では建築家の隈研吾氏がデザインしたレストラン棟が19年にオープンしたこともあり、売り上げ実績は毎年数億円規模で伸びている。
また、自動運転バスの車検を地元の自動車整備工場で行うことなどで、事業自体が地元に需要を生み出す側面もある。橋本氏は「全国に先駆けて自動運転バスを実用化したことで注目を集めているというPR効果も絶大だ。企業が本社機能を境町に移すという動きもある」と明かす。
■人口減少に歯止めの兆し
こうした境町の戦略は徐々に実を結び始めている。境町の人口の変化を、短期的には変わりにくい出生数と死亡数の影響を除き、転入と転出の動向にしぼった「社会増減」でみると、16年度以降は増加が目立つようになった。00年度まで2万7000人を超えていた人口は今年11月1日時点で2万3966人まで減ってはいるものの、歯止めがかかる兆しが出ているというわけだ。
こうした潮目の変化は自動運転バスを含むさまざまな施策で導き出された成果といえる。境町は保育園の料金を周辺自治体より安くするほか、新規移住者に対する毎月最大1万5000円の家賃補助や医療費助成の強化といった施策で子育て世代にアピール。さらに町が主導して新築マンションや戸建て住宅を建設し、月額家賃5万2000円で住むことができるなどの事業で定住促進も図る。
教育面では英語を強化。すべての町立の小中学校に外国人英語講師を常駐させて英語に触れる機会を増やしている。さらに英検の受験料も町が負担するなどして、「すべての子供が英語を話せる町」に向けた取り組みを行う。
肝心の交通面でも17年2月に全線が開通した圏央道茨城区間を活用した境町と東京駅を約1時間20分で結ぶ高速バスの運行が今年7月から始まった。有名校への進学を目指す子供たちは埼玉県内の学校を選ぶことが多かったが、これからは東京の学校も選択肢に入れられるとの期待も大きい。
自動運転バスのルート沿いで自営業を営む女性(74)は「昔はにぎわっていたこのバス通りもシャッターを閉めている店が多くなって、さびれてきた。でも今は町がいろいろと頑張ってくれている」と、良い方向への変化を感じている。
■ふるさと納税をフル活用
もちろんこうした「境町モデル」にも財源の裏付けが必要だ。自動運転バス事業単体では採算がとれないとしても、町全体の財政状態は健全に保たねばならない。
境町は課題克服に向けてふるさと納税をフル活用している。境町の一般会計決算での歳入規模は20年度で216億円。このうち41億円程度はふるさと納税に基づく寄付金だ。こうした取り組みの結果、境町の地方債残高は年々減少しており、20年度の残高(151億円)は、ピークだった13年度から20億円以上少ない。
ただ、ふるさと納税は収入が安定しないという難点もある。制度自体に対しても各自治体が財源集めのために返礼品の水準を競い合う構図を問題視する声が根強い。このため橋本氏は「ふるさと納税が続いている間に(投資)資金を回収する仕組み」を作るとし、自動運転バスの車体や社内に広告を出してもらうなどの構想を描く。
■無人の自動運転も視野
境町は今後、住民のニーズを見極めながら、第5期ルートまでの増設を予定。ルート選びの際には、ボードリーと同じソフトバンクのグループ会社で携帯電話の位置情報に基づいた人流分析を行っている「Agoop(アグープ)」の協力を得て、人出の多い場所や時間帯の洗い出し、他の車の移動スピードの分析といった作業も行う。
また、政府で進められている法律改正に向けた検討の動向も踏まえ、車内のオペレーターをなくした無人自動運転バスの走行も視野に入れている。運行管理者に対する審査や安全を担保するための仕組みなどの制度が固まれば、無人運転の舞台が整い、コスト削減にもつながると見込む。
境町の自動運転バスは構想着手から約2年。サービス開始から約1年の時間を経て、子供からお年寄りまで多くの住民に受け入れられた。「近未来が身近に感じられる町」で生まれ育った子供たちが大人になるころには、町の中に次の未来が姿を現しているかもしれない。
最終更新日:11/21(日)17:40 SankeiBiz