白地に赤のストライプが目印の、軽運送業用途に特化した軽トラック「赤帽サンバー」。富士重工(現・スバル)が自社生産していた往年の希少な個体たちが今、続々と八丈島に結集しつつある。収集に全国を走り回る個人オーナーに、赤帽サンバーにこだわる理由と壮大な計画を聞いた。(北林慎也)
絶版となって久しい、スバル製の赤帽サンバー。その魅力に惹かれ、現役を退いた車両の収集を続けている愛好家がいる。
伊豆諸島の八丈島(東京都八丈町)在住の男性「KANOKEN」さん(33)。不動産賃貸業を営む傍ら、赤帽サンバーを探して全国を回っては、貨物船で島内に運び込んでいる。
「初めて買った軽トラが、1996年式の赤帽サンバーでした。
ペンキで青色に塗られたボロい車両で、エンジンも不調でしたが、しっかり整備してアクセルを全開で踏むと、あまりの加速に驚いてしまい、その魅力に取り憑かれました」
その後、賃貸経営の仕事を始めたことで、雨に濡らさず建材や家具を運べる幌付きの軽トラも必要になった。
「それならば、荷台のバリエーションを増やすついでに、歴代のスバル製赤帽サンバーを揃えていったら面白いのでは」と、2019年ごろから本格的なコレクションが始まった。
めでたくお目当ての仕様が見つかり売買交渉がまとまっても、八丈島まで連れてくるのがまた一苦労だ。
費用を抑えるため、現地から自走で、本土と島を結ぶ貨物船の営業所まで運ぶ。
不動車だったのを、最低限の現地整備でなんとか走れる状態にしてハンドルを握ることもある。
「そういう車両は久しぶりに目を覚まして、いきなり高速で長距離を走らされるわけですから、たいてい途中で不調を訴えてきます。
バイパスや高速道路で不調が出始めた時は、全身に脂汗をかいて心臓がドキドキしながら、逃げ込む場所を探したり応急処置したりと、気が気でない状態です」
多大なコストとリスクを背負いながら何百キロも自走するのは割に合わないのでは? と知り合いから指摘されることもある。
だが、離島暮らしのKANOKENさんにとっては、それもまた楽しみなのだという。
「遠方の赤帽サンバーに会いに行くこと自体が、私にとっては一つの旅行で、どんな電車に乗ろうか? 現地でおいしいもの食べられるかな? 帰りの道中で、何年も会ってない友だちに会いに行こうか……と、素敵な出来事がたくさんあります。
だからサンバーの引き取り先が遠いほど、実はワクワクします」
KANOKENさんがとことん惚れ込む、スバル製赤帽サンバー。しかし、このクルマが新たに増えることはない。
2012年生産の最終モデルも、すでに9年落ちの中古車だ。
「排ガス規制や衝突安全基準など厳しくなる一方の制約の中で、メーカーには数え切れない苦労があると思います。
サンバーの製造が時代に合わなくなったのであれば、生産を終えてしまうのは仕方ないことです。
また同じようなサンバーを復活させろ! とは思っていません。
我々ユーザーには、当時の中古車を所有するという選択肢があります。
私がやるべきことは、1台でも多く後世に残すことだと思っています」
そのためにも、ストック車両の野ざらしを避けるべく屋内保管できるガレージを用意するのが、喫緊の課題だ。
その先には、さらに大きな夢がある。
「赤帽サンバー始め歴代サンバーを保存する『サンバー博物館』と称した個人博物館を、いつかつくってみたいです。
さらに、車両を見るだけでなく、走らせる歓びも後世の人たちに伝えられるように、収蔵車両を購入して個人所有もできる、博物館と整備工場が一体化したような施設ができたら、『我が夢叶ったり』と胸を張って言える気がします」
最終更新日:10/17(日)16:15 withnews