結婚式場の運営などを手掛けていた小野写真館(茨城県ひたちなか市)は、コロナ禍で大きなダメージを受けました。事業の見直しを迫られる中、伊豆半島の高級旅館「桐のかほり 咲楽(さくら)」をM&Aで取得し、新たな相乗効果を生み出すことに成功します。小野写真館2代目の小野哲人さん(46)、旅館のオーナーだった萩原良文さん(71)に話を聞きました。
――コロナ禍ではどんな影響を受けましたか。
それまでは、写真館とブライダル、振り袖のレンタルという三つの事業を主にやっていました。伸びている事業があればその余力で他の事業に投資したり、調子悪い事業を他でカバーしたりして、結果的には10年連続で成長を遂げていました。 世の中で何かあっても、三つの事業のうちどれかは稼げるから、自分としてはいいポートフォリオだと思っていたのです。でもそれが、コロナ禍では総崩れしました。
20年の4~5月は、結婚式がほぼ全組、延期か中止になりました。フォトスタジオや振り袖の事業も、緊急事態宣言を受けて店舗を閉めました。この時期の売り上げは前年比で8割減です。ここまでの影響が出ると、会社をゼロから作り直さなければ、本当にまずいという危機感を覚えました。
――ここからは、旅館のオーナーだった萩原良文さんにも伺います。どのような経緯で咲楽を始めたんでしょうか。
元々は会社員でしたが、安定した事業を次の世代に残せればと思い、55歳で退職して06年に地元で咲楽を始めました。建物は企業の保養所として使われていたものを取得。当時はすでに団体旅行が減っていたので、個人旅行向けに改装しました。客室数を10から4に減らし、部屋には海が見える露天風呂をつけました。たった4室でも、質が高くゆったりしてもらえる旅館を目指しました。多くの人に気に入ってもらえ、お客さんの3割くらいはリピーターでした。
――なぜ事業譲渡を考えるようになったのでしょうか。
当初は開業から10年が過ぎたら、宿の運営を息子たちに引き継ぎたいと思っていました。でも、家族経営の旅館というのは、世間が休みの時に仕事をしなければならず、朝から晩まで非常に忙しい。息子たちからは「自分の子供との時間を大切にしたい」と言われ、引き継ぎは断念しました。苦渋の選択でしたが、息子たちの人生を尊重したかった。
その後は悩みながら営業を続け、一時は廃業も考えました。でも支えてくれているリピーターのことも考え、私たちの意思を継いでくれる人に事業を譲りたいと思い、銀行や不動産屋に相談していくなかで、M&Aの仲介会社に出会い、サイトで情報を発信するようになりました。
――再び小野写真館の小野社長に伺います。咲楽の取得によって経営上どんな手応えがあったと考えていますか。
20年10月に旅館の営業を始め、滑り出しは好調でしたが、21年の年明けからは、また緊急事態宣言になって多くのキャンセルが出ました。旅館業だけで見ると、まだ赤字の月があるのが現実です。ですが、咲楽を拠点に始めた「アンシャンテ伊豆」というフォトウェディング事業の売り上げを合わせると、黒字化が見込めています。
伊豆半島のこのエリアは河津桜や海などの自然に恵まれ、フォトウェディングには絶好のロケーション。競合他社もいません。フォトウェディングを担当していた従業員3人を現地に派遣し、咲楽の中でメイクや衣装の着替えができる環境を整えました。旅館を一日貸し切り、伊豆半島の自然をめぐって撮影する日帰りのプランを打ち出したところ、横浜など他の店舗でも紹介したおかげもあり、売り上げが思った以上に伸びています。コロナ禍の最低の時期でも収益を生む形が作れたので、旅館の宿泊がもう少し戻ってくれば、非常にいい形で収益を上げていけると思います。
最終更新日:8/24(火)22:23 ツギノジダイ