egg編集長 渋谷にギャル減った

1995年に創刊し、1999年には50万部を発行した伝説のギャル雑誌『egg』。2014年に休刊したものの2018年には現在の編集長・赤荻瞳さんを中心にウェブ版eggが開設された。



 ギャルといえば小麦色の肌に派手なメイクという印象の人も多いだろう。しかし『egg』編集長・赤荻さんは「ギャルは徐々に変化し、多様化している」と話す。そんなギャルのこれまでの変化について赤荻さんに聞いた。(全2回の1回目/ #2 を読む)

◆ ◆ ◆

――『egg』といえばギャルですが、そもそも「ギャル」ってなんでしょうか?

赤荻 自由と個性の象徴だと思っています。時代時代で変わるものなのでこういう格好をしているから「ギャル」って決めるのは難しいですね。自分のやりたいファッションやメイク、遊びができている子が「ギャル」なのかなと思っています。

――最近よく雑誌で出てくる「強めギャル」「うさギャル」「清楚系ギャル」について教えてください。

赤荻 「強めギャル」はメイクが強めのギャルです。メイクだけじゃなくてアニマル柄とか原色の色を使った強めの服を着ていることも指します。見た目が強めってことです。昔のギャル要素が強いです。

「うさギャル」はうさぎのようなギャルです。うさぎのような真っ白なお肌で、おっとりしたギャルを指しますね。強めギャルとは反対にメイクやファッションは甘めです。

「清楚系ギャル」は夏休みなど休みの時だけ髪を染めたり派手なメイクをしたりする子です。普段の学校の時は大人しくしています。

――「清楚系ギャル」は最近よく見る気がします。

赤荻 平成初期は絶対いなかったですよね。ギャルは毎日ギャルだったから。私はいわゆるギャル高って呼ばれる高校に行ったんです。ギャル高は校則が比較的緩いため、自分の好きな格好ができると言われている高校です。だけど、入ってみたら校則がとても厳しくて、見た目に関するルールがたくさんあって「これじゃギャルができないじゃん」って思ったんです。最近は「ギャル高」が減っていると聞きます。だから「清楚系ギャル」が増えているんだと思います。

――ギャルを取り巻く環境の変化もギャル文化に影響しているんですね。そもそも『egg』のギャルはどんなふうに変化していったんでしょうか?

赤荻 『egg』は最初から今のようにメイクが濃いわけではありませんでした。『egg』ができてすぐの頃は、肌はほんのり焼けている小麦色で、髪は茶色、メイクは抑えめでした。素人モデルを積極的に採用し、渋谷の街中で撮影した"渋谷女子高生のリアル"が10代に支持されていました。

 その後、派手なギャルが増えました。原色の服を着て肌は日サロで焼いて唇は白くて髪は金髪みたいな。いわゆる「やまんばギャル」ですね。ポスカで鼻筋書いていた子もいました。

 その次に「姫ギャル」が流行りました。髪盛り盛りでなんでもデコるみたいな。携帯電話や鏡などとにかく派手にかわいくデコっていた世代です。そのあたりで「白ギャル」もきましたね。白肌で、甘めのメイクをする子が増えました。

――「白ギャル」はなぜ流行り始めたのでしょうか?

赤荻 一番は浜崎あゆみさんの影響だと思います。あとはその頃ちょうどキャバ嬢メイクが流行ったことも大きいのかなと思います。これまで肌を焼くのは…と躊躇していた女の子たちが肌が白くてもギャルできる! ってことでギャル界に足を踏み入れてきました。もちろん今でも日サロに行って焼いているギャルもいます。

――赤荻さんは「白ギャル」になるんですか?

赤荻 肌の色だと「黒ギャル」「白ギャル」「ラテ肌ギャル」の3種類に分けられますが、私は「ラテ肌ギャル」に入りますね。名前の通り黒と白の中間の肌色のことです。

――なるほど。ギャルはここ最近すごく多様になったイメージがありますがどうしてでしょうか。

赤荻 私が中高生のころって必ずファッションアイコン的な存在の方がいたんです。浜崎あゆみさんとか安室奈美恵さんとか倖田來未さんとか…。ギャルといえばこの人っていうのが常にあって、みんな真似して同じような見た目をしていました。今はSNSもあってか、この人がギャルのトップだよねっていうファッションアイコンがいないんですよね。だからギャルに多様性が生まれたのかなと思っています。

――たしかに。昔はアムラー、シノラーがいましたよね。

赤荻 この服を着ていればイケてるっていうのがなくなって今はGUとかBershkaとかファストファッションが人気です。誰の着ている服を買うかってことよりもいかに安く可愛い服を買うかってところが重要視されていますね。『egg』でもファストファッション企画は人気です。

――ギャルの服っていう印象が強いセシルマクビーも昨年から徐々に減少していますよね。

赤荻 たぶんセシルマクビーさんはギャルを狙わなくなったのかな。だからお互いにどんどん離れていった気がします。ギャルが多様になったので、ギャルにうける服を作り続けるのは難しいと思います。昔はギャルといえばセシルマクビーやアルバローザでしたよね。

――昔は渋谷がギャルの聖地だったと思うんですけど、今でも渋谷にギャルは集まっているんですか?

赤荻 昔はスマホがなかったのでとりあえず渋谷に行けば誰かに会えるって理由でみんな渋谷に行ってましたけど、今はゼンリー(居場所がわかるアプリ)で誰がどこにいるかすぐにわかるので渋谷に溜まることは減っていますね。

――たしかに渋谷で溜まっているギャルをあまり見なくなりましたね。

赤荻 「ギャルサー」という団体がなくなったことも渋谷からギャルが減った理由の一つです。「ギャルサー」はギャルの高校生がイベントをする団体で、夏と冬に渋谷で大きなイベントをしていました。パラパラを踊ったり、ギャル雑誌のモデルさんを呼んでファッションショーをしてもらったり。ギャルサーのためにみんな渋谷に繰り出していました。縦のつながりも強くて渋谷でつながらない業者はいないってほど人脈がありました。

――「ギャルサー」はギャルのコミュニティだったんですね。

赤荻 そうですね。友達を作ったり、そこからギャル雑誌につなげてもらってモデルになったり。ギャルには欠かせない存在でした。今はSNSが発達してオンラインでつながれるようになったので、ある程度の人脈はSNSで作っていますね。ただリアルでみんなで集まってわちゃわちゃすることがなくなったのは寂しいですね。溜まってだらだらしゃべるって一見無駄そうに見えてカルチャーを作っていたのかなと思います。

――今でも流行語はギャルが使う言葉からきていたりと、ギャルの生み出すカルチャーはいろんなところに影響していますよね。

赤荻 本当にそうです。「イケメン」とか「マジ」とか今では欠かせない言葉もギャルからきていると言われています。そういうギャル文化がこれからも広がってほしいなと思っています。

「渋谷からギャルが消えました」4年ぶりに復刊したegg編集長が気づいた“ギャルがいた本当の場所” へ続く

最終更新日:6/15(火)21:12 文春オンライン

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6396114

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