サッポロ一番 包装変えない理由

1961年に下請け業務から始まった、サンヨー食品の即席めん作りは66年に発売した「サッポロ一番しょうゆ味」のヒットで全国ブランドに成長した。続いて「みそラーメン」「塩らーめん」を投入して、ブランドを定着させた。71年までの10年間で即席めん日本一の座に就いた快進撃を振り返る。
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サンヨー食品は2021年3月1日、「サッポロ一番」ブランドでカップめんの新シリーズ「サッポロ一番 旅麺(めん)」をリニューアルした。スープ系の「会津・喜多方 醤油ラーメン」「横浜家系 豚骨醤油ラーメン」「京都 背脂醤油ラーメン」「札幌 味噌ラーメン」の4種に、「浅草 ソース焼きそば」を加えた計5種類だ。

ラーメンブームが全国に広がり、各地で「ご当地ラーメン」が続々と誕生して久しい。それをカップめん商品としてプロデュースする動きも盛んだ。しかし、即席めんの歴史でご当地をテーマに据えた商品づくりを進めてきたのはサンヨー食品が最初だった。

1964年に日本初となる、しょうゆフレーバー以外の即席袋めん「長崎タンメン」を発売。66年には「サッポロ一番しょうゆ味」の市場投入で全国ブランドへと躍進していった。

64年に長崎タンメンを発売したサンヨー食品だったが、当時専務として即席めん事業を引っ張っていた実質的な同社の創業者、井田毅氏は状況を冷静に見ていた。「日本初の塩味で長崎タンメンは売れたが、一過性に終わることもある。やはり王道は『しょうゆ味』だ。何より食べる頻度が圧倒的に多い」と考えていた。

目をつけたのは65年当時、旅行ブームが始まっていた北海道で若者に人気が出始めていた札幌ラーメンだ。井田氏自身も何度か札幌を訪れては現地でラーメンを食べ、その魅力は理解していた。「これを即席めんにできたらヒットは間違いない」と、自ら先頭に立って開発に没頭した。

訪れるには遠い、北の街で食べるラーメンにふさわしい、旅情を感じさせつつ、驚き与える味は何か。「開発を率いた井田は、味は濃いめでスパイシーさも欲しいと考えたようです」と、サッポロ一番シリーズを担当するマーケティング本部マーケティング部第2課の川井理江・課長代理が当時の状況を説明する。

スープは鶏ガラをベースに選び、ニンニク、ショウガ、タマネギなどの香味野菜を際立たせる味を追求した。当時の表現では「パンチの効いた味」。コショウをベースとした、トッピング用スパイスの小袋も添えた。

パッケージの品質やデザインにも井田氏はこだわった。チャーシュー、メンマ、ネギ、ホウレンソウなどの具材を載せ、箸でめんを持ち上げた写真は「日本の即席めんで、今でいう『シズル感(食欲を刺激するような感覚)』を初めて追求したパッケージだと思います」(川井氏)。当時はセロハンが主流だったパッケージの袋を防湿性の高いポリエステルのフィルムに変更し、印刷の色も7色まで増やした。袋の周囲を赤で囲み、店頭に並んだ際に目立つようにした。

「デザイン面で特徴的なのが、(『一番』の斜め上に位置する)矢印の中に星があるマークです。サッポロ一番のロゴを目立たせる矢印にも見えますし、札幌の観光シンボルである時計台にも見えます。これが本当な何なのか、社内でもまだはっきりわかっていません」と笑うのは、広報宣伝部の水谷彰宏課長だ。「開発を先導した井田ならではのセンスで、とにかく商品づくりに完璧を期していたそうです」(水谷氏)

発売にあたってはテレビCMを流した。関東地区では当時売り出し中だった「ザ・ドリフターズ」を起用。日清食品やエースコックなど競合他社が多い関西地区では地元で人気の喜劇役者を選んだ。「地域によって人気のある人物をCMで使い分けるのも、当時は斬新だったそうです」(水谷氏)。

流通面では勢力を伸ばしつつあったスーパーでの販売を強化。売り場に大量陳列して販売攻勢をかけ、全国的にシェアを高めていった。66年9月には関西工場(奈良県大和郡山市)、67年8月には九州工場(福岡県飯塚市)の操業を始め、全国での供給体制を整えた。

「サッポロ一番しょうゆ味」の爆発的なヒットで、都内では札幌ラーメンブームが起こったという。若者が本場の味を求める中で、井田氏が目をつけていたのが、札幌ラーメンの特徴的な味の一つである「みそ味」だった。「他社がどこも成功していない時期に、真似のできない味を作ることで、サッポロ一番のブランドを強固にしようと考えたのです」と、マーケティング本部の福井尚基・広報宣伝部長は解説する。

井田氏のほか、66年6月に開設した開発室のメンバーらが100以上もの試作品を味見して試行錯誤を繰り返した。赤や白など7種類のみそに野菜エキスを合わせ、ほどよい量の香辛料をブレンド。濃いめでコクのあるスープを作り上げた。具をたくさん入れても、味が崩れないよう工夫した。トッピング用に七味唐辛子の小袋をつけて刺激も強めた。しょうゆ味のめんはコシを高めるために四角い断面にしたが、みそではスープの絡みやすさを重視して楕円形にしてあるという。

68年9月に売り出した「サッポロ一番みそラーメン」のインパクトは大きかった。袋めん市場では後発ながら、次々と新しい商品を送り出してきたサンヨー食品は、そのころには他社が動向を常にチェックする対象となっていた。発売後は各社がみそ味の新商品を開発して投入したが、単にみそを混ぜたスープは、みそ汁になってしまったという。「まねのできない味を早期に投入したことによって、他社との違いが明確になって、人気に拍車がかかりました」と、福井氏は当時の状況を説明する。

サッポロ一番しょうゆ味を発売した66年、サンヨー食品の売上高は80億円だったが、「みそラーメン」を出した68年には115億円、69年には130億円と業績は急速に拡大した。

快進撃を続けるサッポロ一番のブランド強化に向けて、井田氏が次に投入したのが「サッポロ一番 塩らーめん」だ。塩味ベースの商品としては64年に発売した長崎タンメンがあったが、「サッポロ一番ブランドで塩を見直したいという気持ちが井田氏にはあったようです」(福井氏)。

塩らーめんの開発では、めんづくりから新たに取り組んだ。札幌ラーメンの特徴であるコシの強さを基本としながら、めんの素材にはパン用とめん用の2種類の小麦粉を使用。さらに、ヤマイモを練り込んでプリプリとした食感を追求したという。断面は円形で、ツルっとすすれてサッパリした食感を狙った。

スープは独特のコクがあって、野菜などのトッピングにも合うものを目指した。トッピング用の小袋に入れたのは「切りゴマ」だ。川井さんは「すりゴマではなくて、切りゴマ。ゴマの高い香りと独特の食感が見事に調和する、天才的な発想だと思います」と話す。

サッポロ一番シリーズのトッピングには、長年のファンが多い。21年3月には薬味を7倍に増やした商品がセブンイレブン限定で発売された。「塩らーめん」の切りゴマ、「みそラーメン」の七味スパイスをそれぞれ7倍に増量。根強い薬味ファンの存在をうかがわせる企画だ。

71年9月に発売された「塩らーめん」は、直営4工場、協力10工場でフル生産してスタート。71年末までに全国で販売する体制を整えた。この塩らーめんを含む「サッポロ一番トリオ」のラインアップ完成で、サンヨー食品の売上高は70年の180億円から71年は230億円まで膨らんだ。

即席めんへの参入からちょうど10年で、「チキンラーメン」で先行した日清食品を抜いて即席めん業界の首位に立った。ちなみに日清食品はこの71年に「カップヌードル」を投入。68年に発売した「出前一丁」など袋めんも強かったが、以後はカップめん市場で存在感を大きくしていく。

同じシリーズでありながら、3商品は「しょうゆ味」「みそラーメン」「塩らーめん」と、語句の表記がバラバラだ。「みそ」はカタカナ書きの「ラーメン」で、「塩」はひらがなの「らーめん」だ。「しょうゆ味」はパッケージ表側の目立つ位置にラーメンを指す言葉が見当たらない。袋のデザインも統一性が薄い。

川井氏は「『サッポロ一番』のロゴ自体も実はデザインがまちまちです。一度は統一しようと試みたことがありましたが、なぜかしっくりこないので、ほとんど発売当時のデザインを変えないまま現在に至っています」と解説する。それぞれのデザインには発売した当初の狙いや訴求ポイントが反映されていて、いずれも個性を主張している。見慣れたパッケージに親しみを覚える消費者が少なくないのも、あえて統一するには及ばない理由だろう。

発売から50年余りをへても、「しょうゆ」「みそ」「塩」のトリオはパッケージデザインに大きな変更もなく、ロングセラーとして今も即席袋めん業界の先頭を走り続けている。新商品がすぐに売り場から姿を消すことが珍しくない袋めん市場にあって、半世紀を経ても揺らがないトリオの安定感は異例中の異例。50年で大勢の舌になじんだ「サッポロ一番」には、「飽きのこない」という隠し味も効いているようだ。
(ライター 三河主門)

最終更新日:4/14(水)7:47 NIKKEI STYLE

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6390601

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