東武 東上線なぜ北西に走る

池袋駅から発着する東武東上線は、とても「味がある」路線です。都内には巨大商店街で名高い大山駅(板橋区大山町)があり、小江戸「埼玉県川越市」を通過、埼玉県北部の寄居駅まで向かいます。



 味がある一方、東上線(正確には東上本線と坂戸で分岐する越生線)は少し奇妙な部分があります。というのも、埼玉県を走っているにも関わらず、東武鉄道(墨田区押上)のメイン路線である伊勢崎線や野田線などと接点がなく、まるで「離れ小島」のような路線なのです。

 東武線の時刻表に東上線が掲載されていない時期もありました(2016年以降は掲載)。さらに沿線情報のフリーペーパーも地域が異なるため、東上線独自のものが発行されています。路線のカラーが異なるのは構わないのですが、なぜか東上線の駅の看板は「東武東上線」の「東上線」の部分が「東武」よりも、大きなフォントで掲載されていることも。

 そんな東上線ですが、最大の謎は「東上」にもかかわらず、向かい先は池袋駅から見て「北西」であること。思わず「西上線じゃないの?」と言いたくなります。いったいなぜでしょうか。

この計画の仮免許申請は1903(明治36)年に行われ、紆余(うよ)曲折を経て、1911年に東上鉄道が設立されます。

 仙蔵は県内の用地買収に突き進み、上福岡駅の建設には私財も投じました。こうして1913(大正2)年に工事が始まり、翌1914年に池袋~田面沢(現在の川越市駅)までの33.5kmが開通しました。なお上福岡駅の東口には、仙蔵の功績をたたえる石碑があります。

 さて前出の「東上」線の由来ですが、その答えは当初の建設計画にありました。計画実現に向けて最初に仮免許を得た段階で、終点は群馬県の渋川町でした。現在の終点である寄居から本庄市、高崎市を抜ける計画だったのです。

 ということで、群馬県までの路線計画があったことから東京の「東」の字と群馬県の旧国名である上野国から「上」の字をとって、東上線となりました。

 その後、1920年に東上鉄道と東武鉄道は合併。合併の目的は物価急騰に対する経費節減でした。つまり両社合意しての対等合併だったので、東上線には現在も続く独自色が残ったと言えます。

最終更新日:3/14(日)11:29 アーバン ライフ メトロ

引用:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6387658

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