2020年の第2回「ミスユニバーシティ」で頂点に立った難波遥(なんば・はるか/24)さん(当時フェリス女学院大3年)は現在、BSテレビ東京『日経ニュースプラス9』のリポーター、モデル、講演活動と並行し、広告代理店を経営している。“全国版ミスキャンパス”で日本一になったことは、彼女の人生にどんな影響を与えているか。本人に話を聞いた。(取材・文=福嶋剛)
――ミスコンに挑戦する前の難波さんは、陸上競技の選手だったんですね。
「はい。陸上に夢中だった高校生でした。七種競技でインターハイに出場しましたが、順位は真ん中くらいで、『どれだけ頑張っても、上には上がいる』と現実を知りました。それからフェリス女学院大学に進学して『何か挑戦してみたい』と思い、湘南国際マラソンのアンバサダーを決めるコンテストにエントリーしました。それが初めてのミスコンで、その後、ミスフェリス女学院にエントリーしました」
――ミスユニバーシティに応募したきっかけは。
「大学1年の終わりに地球課題に取り組む学生団体に参加して、行政や企業と一緒にプロジェクトを進める活動を始めました。そして、春休みにフィリピンに留学したとき、現地の子どもたちが生活のためにストリートで物乞いをする姿を目の当たりにし、『今まで自分は何を見てきてんだろう』と実感しました。それで、『私自身の影響力を高めていかないと、たくさんの人に実現したいことを発信できない』と気付き、自己実現をさせるためにミスユニバーシティに応募しました」
――期間中のボディーメイクで一番大変だったことは。
「腹筋です。陸上競技をやっていたときは割れてバキバキでしたが、1年でボヨーンって(笑)。それをもう1度鍛え直すのが結構キツかってです。コロナ禍でなかなか外にも出られなかったので、大会期間中の食事制限とトレーニングは大変でした。でも、ウォーキングするときに腹筋はとても大切なので、鍛えていくと自己肯定感も上がっていきました。キツさがやりがいに変わっていきました」
――ミスコンの経験は今、どのように生かされていますか。
「私はミスコンで想像力の大切さを学びました。大会期間中、ファイナリストたちとの会話を通して、今まで自分の中で当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなくて、多様な考え方や生き方があることが分かりました。その考えは社会人になってタレント活動や企業活動にも生かされています。番組のMCや講演などもひとつの言葉をすごく丁寧に使うようになりましたし、何かを発信するときは必ず届ける相手のことをしっかりと考えてから行動するようになりました。もともと優柔不断な性格だったので、自分で決められない、断れないという弱さもありましたが、大会を通じて身についた選択する力や自分に対する厳しさが、その後の人生に大いに役立っています」
――難波さんは経営者としての顔も持っています。
「まだまだ小さい会社ですが、学生時代に起業した広告代理店(Hands UP)の代表を務めていて、環境問題など地球課題の解決に興味を持っている全国の学生さんと一緒に企業や行政への企画、提案を行っています。この前、全国の大学生が主体となって1日限定のパラスポーツカフェを渋谷で開きました。たくさんの方にパラスポーツの面白さを知ってもらうイベントを開催するためです。参加している学生さんたちが将来のリーダーとして活躍できるように、微力ながらこれからもサポートを続けていきたいと思います」
最終更新日:2/14(水)11:44 ENCOUNT