世界で約40万人の船員が帰れなくなっている――国連の専門機関のひとつIMO(国際海事機関)が、2020年12月時点の推定値として、このように分析を出しました。物流を担う商用船で、多くの船員が契約期間を過ぎても乗務を強いられているという問題が顕在化しているのです。
もちろん、これは新型コロナの影響によるもの。各国の渡航や移動の制限により、船から下りられない、あるいは、次の船員が乗務する船までたどり着けないといった事態が、かれこれ1年近く続いています。IMOは世界の物流の8割を担う彼らを、「パンデミックにおける陰のヒーロー」とし、またその「副次的な犠牲者」であるともしています。
日本を代表する外航船社のひとつ日本郵船は、この問題にタスクフォース(任務部隊)を立ち上げて取り組んでいます。その事務局長を務める同社の高橋正裕さん(技術本部 統轄グループ長)と、コロナ禍の初期に乗務していた事務局長補佐の神谷敏充さん(海務グループ 安全チーム長)に話を聞きました。なお日本郵船の場合、船員の多くはフィリピン、インドなどアジア圏、あるいは東欧圏などの人で、日本人船員は4~5%だそうです。
初期のころは、治療法も不明だったことから、乗船中の船員が感染しないことを第一として、一切の乗下船を止めたそうです。日本郵船のなかで年間に行われる船員交代はおよそ9600件、これを12か月で割ると800件。つまり1か月滞れば800人、3か月で2400人と、交代できない船員が増えていったといいます。
船の経路により乗下船ができる国、できない国とで対応が分かれたものの、順次交代を進め、2021年1月時点で進捗率は76%ほどだそうです。
ただ船員の乗務期間も、人により3か月だったり、9か月だったりと様々であるものの、航路や時々の状況により、12か月を超えて乗務している人も40人ほどいるといいます。割合でいえば日本郵船が抱える船員全体の約1%。とはいえ、この数値は世界の船社のなかでも、かなり少ないのではないかということです。
厳しい状況が続くなか、船員交代を進めることができた背景には、日本郵船および船員の徹底的な感染防止策があります。その努力は、並々ならぬものでした。
いま、船員の交代は世界の中でも日本で行われるケースが比較的多いといいます。たとえば、新たに乗務する船員がフィリピンから日本にやってきて交代する場合、次のようなプロセスを経ます。
まずフィリピンで抗体検査を実施し、最低2週間、ホテルの部屋で隔離されます。これは、部屋のドアの前でコーストガード(沿岸警備隊)が見張っているという完全な缶詰状態だそうです。その間にPCR検査を2回行い、隔離完了後にもう1回実施し、陰性であれば日本へ行けるのこと。PCR検査の精度は7割といわれていることから、3回行っているといいます。
そして、各種手続きや空港への移動などで外に出る際には、PPEと呼ばれる防護服を着用し、「コロナ病棟で働く医療従事者とほぼ同等のスタイル」(高橋さん)で出かけ、そのままの格好で、日本行きの飛行機にも搭乗します。高橋さんの話では、「成田やマニラの空港で異様な格好をしている一団があれば、それは船員かもしれません」とのことで、日本に着いてからも、この完全防備の状態で、目的の船まで専用のバスで移動するそうです。
「こうしたこともあり、船員の乗下船にともなう感染リスクは、一般の人が移動するよりもはるかに小さいでしょう。彼らが恐れるのはむしろ、一般の人から感染するリスクです。というのも、失うものが大きいからです。ここまでの努力を払っても、感染し乗船できなければ、数か月分の収入が飛んでしまいます」(日本郵船 高橋さん)
一方で、船を下りたい船員も苦労は絶えません。配船先の水域によっては、飛行機が飛んでいないために身動きが取れなかったり、鎖国状態の国もあったりして、下船がままならないこともあるといいます。
たとえば、ほぼ鎖国状態にあったベトナムの船員を、中東で下船させ、日本まで飛行機で移送、そこから1か月後に運航される政府間のチャーター便に乗せて、何とかベトナムへ帰したこともあるそう。ちなみにチャーター便を待つあいだの1か月間は、ホテルで隔離だそうです。
船員にとって最大のストレスは、現在もなお「先が見えない」ことだといいます。たとえば、乗船中に親が亡くなったため下船手続きを取ったものの、「下りられそうだ」「いや、ダメになった」というサイクルを3回繰り返し、ようやく下船できたというケースもあるそう。
各国の規制もコロコロ変わるほか、飛行機に乗る前に数日待機、あるいは母国に帰っても州をまたぐたびに待機、といった状況で、下船後の休暇期間をあっという間に消化してしまうこともあるとのこと。それでも、年単位で決まっている乗船スケジュールを変えることは、物流を滞らせるため難しいといいます。
実はこうした状況が、わたしたちの生活にも影響を及ぼしています。いま、世界的な巣ごもり需要の高まりなどで、特に日用品を運ぶコンテナは運賃が高騰していますが、これには、各国の規制や陸上での突発的な陽性者の発覚などで、船がスケジュール通りに運航できないことが関係しているとのこと。貨物の需要に対して「船が足らない」状態となり、必然的に運賃が上がる構図だそうです。
「どの国も自国民を守るのが第一ですから、規制をどんどん変えてしまいます。それは仕方のないことですから、とにかくできることをやっていくしかありません。そういう中では、日本政府はどこの国よりもバランスよくやっていただいていると思います」(日本郵船 高橋さん)
そして、こうした状況は今後も長期にわたって続くと日本郵船は見ています。世界全体が「正常」に戻らなければ、改善されないからです。
「国によって新型コロナのワクチン接種体制も異なります。また、ワクチンの効果も長くは持続しないとも言われています。ワクチンを継続的に打ち続けられる体制が揃わなければなりません」(日本郵船 高橋さん)
日本郵船はもちろん、IMOも各国へ状況の改善を働きかけているといいます。高橋さんは、各国の規制が目まぐるしく変わることにも理解を示すものの、不合理な追加措置は世界中の物流がスローダウンするのでやめてほしいとも。その言葉が印象に残りました。
最終更新日:1/31(日)17:55 乗りものニュース